人気ブログランキング | 話題のタグを見る
千寿の楽しい歴史
kusennjyu.exblog.jp
ブログトップ
2014八院の戦い(その1)・千寿の楽しい歴史
八院の戦い(その1)      

「柳川郷土研究会の史跡探訪」資料より。

2014八院の戦い(その1)・千寿の楽しい歴史_a0137997_17353548.jpg



徳川家康より立花宗茂を討てとの命を受けた鍋島直茂は、63歳の老体をひっさげて勝茂と共に慶長5(1600)年10月14日、およそ2万4千人(3万人ともいう)の兵を率いて佐嘉を出発した。ついで黒田如水(孝高)も、豊前から5千人の兵を率いて、久留米および柳河に向かい、10月20日には水田(筑後市)に陣を敷いた。

鍋島直茂・勝茂らが、立花宗茂の居城柳河を討つには、筑後川にある二つの渡(わた)しのいずれかを渡らねばならなかった。下流にある榎津の渡しは、立花が備えているに違いないと考えた直茂は、上流にある住吉(今の久留米市)の渡しを渡ることに決した。だが、ここは秀包の領地であり、渡る船も筏もなかったので、肥前の軍勢は、かち渡りして大善寺に着いた。秀包は、かねて仲のよい黒田如水(孝高)の助言によって下城した。

18日、直茂は城島に進み、諸隊を大善寺付近や犬塚原(いぬづかばる)・早津崎(はやつざき)に進め、また瀬高に放火し、使いを柳河城に送って開戦を知らせた。
立花宗茂は諸士を集めて、自ら決戦をしようと言った。老臣らは大阪で丹親次が家康に陳謝中であり、また清正と協議中であるから、しばらく戦わず、ただ守備兵を派遣して、敵がもし来たなら防御するだけにし、和議を妨害しないようにしたがよいと言ったので、宗茂はやむを得ずそれに従った。

19日、肥前軍襲来の知らせを受けると、酒見城の城番由布七右衛星門に筑後川の沿岸を警戒させ、また誾千代(ぎんちよ)姫は軽卒に命じて、有明沿岸を防御させた。城島城の城番立花吉右衛門(薦野増時の子)は、その領地城島の安危を気づかって、200人余の兵を率いて、城島に向かい、榎津にやって来ると、鍋島の兵3千人ばかりが前面十町にいた。吉右衛門は軽兵(軽卒)を放って、鍋島の兵を攻撃して20余人を倒した。

隊長小野和泉(蒲池城の城番)、立花右衛門太夫・立花三太夫(統次・千石)、新田平右衛門(足軽頭領)、安東五郎右衛門(足軽頭)、石松安兵衛など、その軍勢千人余が江上表へ押し出した。安東らは足軽を出して鉄砲をしきりに撃たせたが、堀を隔てていたので戦いにはならなかった。そのうち夕方になって、小野和泉や立花吉右衛門の指図で柳河へ引き上げた。


あくる10月20日の朝早く、小野和泉・立花右衛門太夫・安東五郎右衛門・安東津之助・石松安兵衛および千手(せんじゅ)六之允、そのほか立花三太夫・新田平右衛門(足軽頭領)など軍勢1300余人をつけ5隊に、編成して江上表へ押し出し、薦原(中木室と下木佐木村境)に陣を敷き肥前軍に当たらせた。

肥前軍は鍋島平五郎をはじめとし、1万2千人を12隊に編成して進み、五反田に陣を敷いた。肥前軍は堀を前に控え鉄砲を撃ちかけ守勢をとった。立花吉右衛門は300余人(数百人ともいう)を率いて水田口(筑後市)へ駆け向った。これは黒田如水が、水田口から押して来るということであったからである。

柳河城兵が江上表に駆けつけたところ、小野和泉の与力の松隈小源が、小野和泉の使者と偽って、安東五郎右衛門の所に行き、「早く合戦を始められよ。もし大敵に恐れるならば後隊と入れ替えられる」と言った。この言葉を聞くと安東五郎右衛門・石松安兵衛は兵を繰り出し、敵の先鋒3千人ばかりの中に突っ掛け、肥前勢を追い立てた。

第三隊に将として出陣した立花三太夫はこれを見て出し抜かれたと思って(石松・安東の軍が敗れるのを見てともいう)、真一文字に突っ掛かり、敵の三隊を追い散らし、一ノ橋から二ノ橋、三ノ橋まで切り崩した。肥前の第二陣の後藤茂綱の軍勢は、鉄砲300挺でつるべ打ちに撃ちかけ、柳河勢で倒れる者の数がわからぬ程であった。このとき立花三太夫は、馬上に長身(ながみ)の槍をしごき阿修羅(あしゅら)のように駆け回り、ただ一騎敵軍を突き抜けて敵味方を驚かせ、鍋島平五郎がいる五反田の本陣へ駆け込み、息もつかせず攻め寄せた。

その激しさは「先鋒鍋島茂忠も危うかった」と鍋島方に記録されているほどであった。肥前勢が、立花三太夫を取り巻いているとき鍋島の家来、今泉軍助は鉄砲で三太夫を撃ち落し、軍助の従卒衛藤藤四郎右衛門が駆け寄って三太夫の首を取った。また、三太夫は三ノ橋まで進んだところ橋が切り落されていたので、堀を飛び越えようと馬に一鞭(むち)加えたところ、馬が疲れていたのか、向うの堀岸に踏み掛け、馬もろとも堀に落ち、敵兵が群がって来て三太夫を討ち取ったともいう。三太夫ときに25歳。死に臨み、敵をにらみつけて「我は死すとも魂は死せず、必ず肥人を苦しめん」と言ったと伝えられる。

2014八院の戦い(その1)・千寿の楽しい歴史_a0137997_1735061.jpg2014八院の戦い(その1)・千寿の楽しい歴史_a0137997_17344882.jpg


続きます。






みやまいいまち会  クリックして見て下さい。

 「5月 まちづくり懇談会の報告」

「5月のまちづくり懇談会は板橋聡県議を迎えます(市民公開)」    「5月 定例学習会は、平成26年度 市の予算について学びました」   



みやま市観光協会公式WEB

梅野家歴史資料館  みやま市瀬高町大草女山932

梅野家庭園    4月  5月  新緑  6月  11月 梅野家の紅葉   季節を楽しんで下さい。

西日本新聞フォートサービスで梅野家庭園の写真(4月28日撮影分)を販売しています。

青輝園    御座敷梅   ユリ展    季節を楽しんで下さい。

私の目標   今一番大事なことは絆 を育てること。

by kusennjyu | 2014-05-30 17:35 | 歴史学習会
|Topに戻る