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八院の戦い(その2)・平成26年5月27日
八院の戦い(その2)   平成26年5月27日    天気:晴れ   参加者:20人

「柳川郷土研究会の史跡探訪」資料より。

この間に肥前の後藤左衛門、同善次郎らは、鐘ヶ江の渡しを渡って八院方面に進み、八院村の西はずれから激しく鉄砲を撃ちかけたので、千手六之允は鉄砲に驚き安東五郎右衛門・石松安兵衛を捨てて足取りを乱した。肥前勢はこれに力を得て、備え(陣立)を立て直し、攻めかけたので安東五郎右衛門、石松安兵衛ら20名ばかりが戦死した。

小野和泉は、先手(先陣)戦いのありさまを聞くと、家来を引き連れて出馬し先手を救おうとしたが、横矢に射られ、 小野和泉の家来は進ことが出来ず、立花右衛門(鎮實・しげざね)・次男善次郎親雄(17歳)・新田平右衛門らは後陣に控えていたが、これも先手を救うために、横合から攻めかけ、敵を3町ばかり突き崩した。

しかし、立花右衛門及びその子善次郎親雄も後を断たれて戦死した。この父子の墓は横溝村深野名(ふかのみょう)円通庵の廃址にある。勝ち誇った肥前勢は、小野和泉の陣にどうと攻め寄せ、小野和泉はじめ、その軍勢は奮戦したが、14,5人になるほど討ち取られた。小野和泉も左の乳の下を鉄砲に撃ち抜かれ、肘にも矢傷を受け戦うことが出来なくなり、戦死はまちがいないと思われた。

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20日、命を受けて黒田如水勢の押(おさい・防備)として城兵300余人(数百人ともいう)を率いて水田口に向かっていた立花吉右衛門は、午前8時ごろ江上から八院で、先陣が苦戦し多くの者が戦死したという合戦の様子を聞き、江上の味方を救おうと江上に向かい、弓や鉄砲をそろえて大勢の中へ撃ちかけさせた。無駄な矢玉はなく、ばたばたと敵を打ち倒した。不意をうたれた敵が、まごついている所を吉右衛門は部下200人ばかりを引き連れて、肥前勢の真ん中に横すじがいに駆け入り、激しく戦ったので、恐れをなして川の土手を逃げて行く敵勢を、追いかけて討ち取った。このすきに敗軍とみえた柳河勢は、事故なく引き上げたばかりでなく、討死と決まっていた小野和泉でさえ、無事に蒲池村まで引き返した。

こうして、肥前勢は吉右衛門が追い討ちするのを見て、堀溝を隔てて弓矢や鉄砲を雨あられのように放った。吉右衛門は馬上で采配を振っている所に敵の鉄砲で頬当を左から右へ撃ち抜かれ、まっさかさまに落ちた。阿部半内が走り寄って吉右衛門を肩にひっかけその場を逃れた。吉右衛門は引き上げる途中、城中から来る十時源兵衛に出会い「拙者はこれまでに各地の合戦で67ケ所に傷を受けたが、今日の合戦で受けた重傷は、これこのとおりだ」と言って傷跡を見せ、この日の激戦を物語ったほどで、真の決戦であった。

柳河勢はよく戦ったが、ついに敗れて後退するところを、肥前勢のために580余人の首を取られ、切り捨てられた者はその数を知らなかった。柳河勢を柳河城に追い入れ、城を乗りつぶそうとする肥前勢を見て、鍋島直茂がこれをさし止めているところに、黒田如水(孝高)・加藤清正から使いが来て「勝敗は決まった。戦いをやめるように」と止めたので、鍋島直茂・勝茂父子は軍政を引き上げ酒見に陣を移した。柳河の戦死者は630余人であった。

立花宗茂は8千余騎を引き連れ、柳河城から出陣しようとするところを、立花玄可が「この名城に籠城したなら、どれほどの大軍でも、たやすく攻め落とすことは出来ない」としきりにいさめたので、宗茂も納得して、一の口を玄可に固めさせ、攻め寄せる敵を待っていた。
  肥前勢も明日、柳河城に攻め寄せようと支度をしていた最中、黒田如水・加藤清正の了承が鍋島直茂に対面して、「明日の城攻めは見合わせるよう」に申し出た。鍋島直茂も和睦を決めて榎津から寺井に渡り、佐嘉の城に帰った。

21日、立花宗茂は十時摂津などを出して蒲池城を守らせた。鍋島の兵が戦いをしかけ、立花の兵が鍋島の兵数人を斬り殺し、あるいは生け捕りにした。もし、肥前勢が柳河に迫ったなら、立花宗茂は花々しく戦うように用意し、またぎん千代姫は紫威(むらさきおどし)の鎧を着け、長(なぎなた)を取って床几(しょうぎ)に腰を掛け、道雪(宗茂の養父)譜代(ふだい)の侍の婦女200余人を宮永の館に集めて戦う覚悟で待っていた。一同は唐紅(からくれない・深紅の色)の装束に甲冑(よろいかぶと)を着け、長刀を打ち振って宮永の館に集まっていたという。

25日、加藤清正は、軽卒一千二、三百余人を率い、瀬高に来て黒田如水・鍋島直茂と協議し、立花宗茂の人質を取り、立花宗茂に島津を討つ先鋒となることを約束させることにした。
 加藤清正は瀬高から白鳥に来て、使者を送り立花宗茂に開城を勧めた。使者が伝えた内容は、懇切でていねいで行き届いていた。

次回は「伝説 猫橋の由来」を紹介します。






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by kusennjyu | 2014-06-17 08:32 | 歴史学習会
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