石田昌と高田町(渡瀬会・河野修造など)との関係
1.大正13年、門弟河野修造還暦記念出版歌集『千代のはじめ』の序文を書く。
この河野修造は、三池郡渡瀬(現在のみやま市渡瀬)の素封家で、三池銀行頭取を勤め、県会議員もしていた。
韓国の京城に植物園を開設するなど事業家であったと思われる。日露戦争中は、村長として村民の信望を集め、大正初めまで、その任にあった。
歌道の方でも、
渡瀬会をつくり、昌を指導者として毎月例会をもっていたが、福岡移住により廃止した。
たまわりし言葉の花のしたかけを 若かへる身のすみかにはせん。 河野修造
海辺暁 石田 昌
飾麿津を夜こめにたては針間かたなみ穂しらみて淡路島見ゆ
以上は柳川文芸クラブ「ほりわり」第27号より。
大正13年9月、河野修造が村長三選の折 (「二川地方誌」より)
浮波にたゝよふ身とはまたなりぬ ちからのかきり世につくしてん。
むらきものまことのこゝろ盡しなは 國のもとゐとなりもこそすれ。
2.昭和11年、『二川地方誌』に石田昌の長歌・短歌を収めている。
・渡 瀬 祇園會(え) 長歌
山車動いて人波打てる祇園かな。
祇園會の人去り盡くし明けにけり。
・濃 施 千燈明 長歌
渡瀬のや車とまりに、たゝ向ふ濃施の熊野の、坂なりに献(また)す燈火、
階(しな)毎(こと)にともす燈火、其坂のきさみのむた、よみも得す盡
しもかねつ、曽伎太久毛かゝけし御燈(みひ)か、己伎婆久母照らせる御燈
(みひ)か、まかゝやく影にあたると、御阪攀ち諸人集ふ、此里の直熊野
まつり、見るかたふとさ。
反 歌
麓ゆく夜汽車のたびのもゝち人 見てやしぬはむ神の燈火
・上楠田 石神山 和歌
「朝露の御木の鎮と神随神佐備立てり石神山」
(あさつゆの/みきのしずめと/かんながらかみ/さびたてり/せきじんのやま)
3.昭和13年、『開村誌』に石田昌の讃 三池郡開村 長歌並びに短歌二首が掲載される。
秋丸墓地は黒崎開が新開地として、墓所が田畦間に散在するのは、末々まで百姓の難を思い召し、倉永村の内秋丸山を、御開中一円の墓所として、藩主英山公(第三代)より拝領に及んだ。
隅をおちす見れと一つの墓もなし
この里人は死なすやあるらん
次は郷土史家としての石田昌を紹介します。
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