三池街道7(溝尻・三軒屋・向田) みやま市高田町
33・溝尻出店の医者
永江家・益城家がおられて、長崎で蘭法医学を学び溝尻で開業された。
内科、外科、骨節科があって、入院患者も多くなり、遠方からの患者さんの宿屋もあったとの事である。
34・溝尻出店の「北向き地蔵さん」
溝尻出店の東方の出外れに小川が流れていて、その橋の袂に「北向き地蔵さん」が祀ってあり、地蔵さんに三界万霊と刻んである。
この地蔵さんは天保4(1833)年に建立されたものである。
天保4年は全国的に大飢饉が起こり、餓死する人もあったきびしい年でした。追い打ちをかけるように溝尻村に赤腹(赤痢)という悪病が流行して、家ごとに病人が出て、次から次へと死人があり一家全滅したところもあったという。
村人たちは何かの祟りか障りではではなかろうかとおののき、話し合いの結果、地蔵さんをお祀りする事になった。「南無延命地蔵願王菩薩」を刻まれたもう一体の地蔵さんと二体を並べて病魔退散と平癒を祈り深く信仰するようになったという。
この二体の地蔵さんは北を向いておられる。南向きは多いが、北を向いた地蔵さんは大変珍しく、霊験あらたかなとのことであります。 小児のよだれの願いに奇妙に効能があると云われ、筑後一円からの参拝者がある。
また横に小川があるが溺れた人がなく、溺れかかっても水死した人はいない。三界に霊験あらたかな地蔵尊であると信仰されている。
(三池街道は「北向き地蔵さん」の東側を右折して三軒屋方面へ進みます。)
35・三軒屋の「米ん神さん」
楠田川の川岸に、米粒の形そっくりの岩石(高さ1m、巾50cm、厚み20cm)が立っていて、永い年月の間に石の厚みと土手の流失などで傾き初めていました。
この地方の人々はこの石を「土ん神さん」といい、「米ん神さん」とも呼んで三軒屋みんなで崇拝し、毎年新しいしめ縄を奉納して祀っています。
河川改修の折に三軒屋集落の北端に移転して安置しました。 元の場所は、も少し南に寄った川岸でした。
左~34・溝尻出店の「北向き地蔵さん」 右~35・三軒屋の「米ん神さん」

36・濃施 三軒屋の道標
溝尻茶屋で一休みして、地蔵堂に一礼したのち、川そばの街道を南に進みキロメキを過ぎると、大きく曲がった川岸に沿った街道に出る。
この楠田川に架かる橋が「柳川橋」で、橋の少し上流に架かる橋を「瀬高橋」といって、三軒屋集落は交通の分岐する大切な場所であった。
現在の「柳川橋」の左たもとに石の道標があり「左柳川」「右瀬高」の刻字がある。(現在は土台が高く上げられているが、土橋の当時は元の低さだったのだろうかと考えられます。)
この辺りの川は河川改修工事で川幅も広くなり、「柳川橋」が取り去られて瀬高橋は土橋からコンクリート橋に作り変えられ、現在この橋を「柳川橋」と呼んでいます。
三軒屋という地名の起こりは、古老の話によると、昔は柳川や瀬高方面に往来する人が多く賑わっていた。お菓子屋、米屋、日用品などの店もあり、普通の家の大きさの三軒分ぐらいの大金持ちの屋敷があったから、この地域を三軒屋と呼んだそうである。

37・三軒屋の恵比寿さん 現在はありません。
七福神の一人で、大黒天とともに福徳の神様であり、商売の神様として今日でも十二月の祭礼には、商店街などでは売り出しをして賑わっているが、三軒屋でもその昔、いろいろな店があって商売繁盛を祈って祀ったのであろう。
(現在は取り去られてありません。2年位前はありましたが、その場所は高田支所への入り口かその北側付近でした。)
38・三軒屋の「くみず」
三軒屋集落から南の向田集落にかけて三池街道は真っ直ぐに楠田川に沿って続いています。
さて三軒屋の道を歩いて行くと、川岸の草かげから水面まで降りる粗末な作りの石段が二ケ所残されていました。この石段を「くみず」と言って、家ごとの日常生活に欠かせない施設でありました。
毎朝の洗面も、野菜や米洗いも、全てが「くみず」でした。
この辺の地下水は、昔は海底だったので、水質が極めて悪く、飲み水や炊事の水は遠く濃施山下の八竜さんの湧水を毎日汲みに行っていました。
これらは町水道が配管されるまで続けられました。
(現在は川岸がコンクリートになり、「くみず」もきれいなコンクリート製に変わっています。)
左~三軒屋の「くみず」。昔は土手に柳が生えて粗末な「くみず」でしたが生活のための施設で風情がありました。
右~三軒屋の横を流れる「楠田川」を見ながら「三池街道」が続く。

39・向田の「屋須田さん」 現在は、ありません。
安政年間に街道筋に並んだ向田集落に火事が発生した。おりからの北風に煽られて火の勢いは瞬くうちに広がり、向田の大半は消失してしまった。
里人は話し合いで火伏せの神様を祀って家内安全を祈願することになった。
この社が「屋須田さん」であり祭神は「火之夜芸速男神」で、向田橋から南へ20m余の道端にありましたが、現在はありません。
40・三界万霊の地蔵さん(向田 南濃施橋西側)
施工主 久保田金秋 中林助次 田中市松 前原喜一 塚本友秀と刻んである。
41・向田の「宝塔さん」
向田と渡瀬北町の境の街道筋に、家並が途切れたあたり、楠田川の反対側に川幅が少し広くなった場所がある。その土手の上に大きな石造の塔がある。これが一石一字塔で、近所の人は「宝塔さん」と呼んで崇拝している。毎年、春秋の彼岸には今日でも南新開の農家の人が集まって供養をされている。
この場所は、楠田川の水を南新開地方の干拓水田の灌漑用水を確保するための取水口で街道の下を横切って、厚い岩板を組み合わせた導水路が二つ並んで大きく口を開いている。
渡瀬中町に新興寺という日蓮宗の寺がある。江戸中後期のことらしいが、ここの用水が南新開の農家にとっては極めて重大な灌漑用水であり、併せて農民の家内安全と水難防止のために、立花藩主が寺に命じて祈願させたと言われている。このことが新興寺の口伝として代々受けつがれ、明治9年3月になって宝塔が建立された。
田川と唐川川の合流点の西側の水門から南新開の農家の灌漑用水を確保している取水口がある。この取水口の西側に宝塔さんが建っています。

この取水口の南側から渡瀬町に入り、来年は渡瀬町から三池宿(大牟田市)までの予定です。
今日は「まいピア高田」で講演をします。ブロギの三池街道1~7の内容です。
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