東京災難画信1回目 都新聞に連載された竹久夢二の報告文
東京災難画信 竹久夢二 一 大正12年9月14日 金曜日 都新聞掲載
昨日まで、新時代の伊達男が、いわゆる文化美人の左の手を取って、ダンシングホールからカフャーへと、ジャック・ピックルの足取りで歩いていた。いわゆる大正時代の模範都市と見えた銀座街が、今日は一望数里の焦土と化した。
自分の頭が首の上に着いていることさえ、まだはっきりと感じられない。
化学も、宗教も、政治もしばらく呆然としたように見えたに無理はなかった。
大自然の意図を誰が知っていたろう。自然は文化を一朝一揺りにして、一瞬にして、太古を取り返した。路行く人は裸体の上に、わずかに一枚の布を纏(まと)っているに過ぎない。何を言うべきかも知らず、黙々として、ただ左側をそろそろと歩いていく。命だけ持った人、破れた鍋をさげた女、子供を負った母、老婆を車にのせた子、何処から何処へゆくのか知らない。ただ、慌(あわ)ただしく黙々として歩いていく。おそらく彼ら自身も何処へいけば好いのか知らないのであろう。
東京災難画信 竹久夢二 二 大正12年9月15日 土曜日 都新聞掲載
浅草観音堂を私は見た。こんなに多くの人たちが、こんなに心をこめて礼拝している光景を、私ははじめて見た。
琴平様や、増上寺や、観音堂が焼け残ったことには、科学的の理由もあろうが、人間がこんなに自然の残虐(ざんぎゃく)に逢って知識の外の大きな何かの力を信じるのを、誰が笑えるでしょう。
神や佛にすがっている人のあまりに多いのを私は見た。
観音堂の「おみくじ場」に群集して、一片の紙に運命を託そうとしている幾百の人々を私は見た。それは必ずしも日頃神信心を怠らない老人や婦人ばかりではない。白セルの洋服のバンドにローマ字をつけた若い紳士や、パナマ帽を被った三十男や、束ね髪を結った年頃の娘をも
、私は見た。
その隣で売っている、「家内安全」「身代隆盛」加護の護符の方が売れ行が悪いのを、私は見た。この人たちには、もはや家内も身代もないのであろう。今はただ御籤(おもくじ)によって、明日の命を占っているのを、私は見た。
続きます。
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