大石進(大石神影流) 千寿の楽しい歴史
大江戸八百八町に旋風を巻き起こした巨人のふるう長竹刀
「日本剣豪読本」 新人物往来社より。 風の巻 名人剣豪編
一・長竹刀を操る大男 江戸に大恐慌を起こす
「大石進種次(おおいし・すすむ・たねつぎ)の碑」が、出身地の福岡県大牟田市宮部に建ったのは明治15(18882)年である。碑文にいう。
「身長七尺、大耳隆準、音吐如洪鍾」 大きな身体、秀でた鼻、声は釣り鍾が鳴るようだというのである。
福岡の柳川藩だから立花家である。同家の剣術指南番の家に生まれた。何歳のころか正月の御前試合で敗れた。これが発憤のもととなる。
祖父の指導か、父親のそれか、あるいは自分自身の発明か、その辺は判らないが、いつか彼は五尺三寸余(1m60cmあまり)という竹刀を使い出す。いわゆる六尺竹刀だ。 ちなみに、こんにちの竹刀は三尺八寸(1m15cm)である。
この長竹刀での左手突きが特徴だった。それに胴切りだ。ついでにいうと十三穂の鉄面を作り、竹腹巻を使用していた。
身長七尺というのは少しオーバーな言い方で、実際は六尺五寸(約1m70cm)ほどだったという。その身体に合った竹刀を使い始めたというのである。彼が指導を受けたのは祖父らしい。父親が病弱だったせいだという。
祖父は彼に愛洲陰流の剣と大島流の槍を教えた。愛洲陰流では、この当時防具に面と小手を使っていた。竹刀の長さと、大島流の槍術からのヒントか愛洲陰流にはない突きの一手を彼は発案したものらしい。
父親が死ぬと後を継ぎ、御徒組三十石で剣と槍の指南役も兼ねた。すでにその突きには精錬の域に達しているようだが、弟子たちに教えたのは
「どんな試合でもまず初太刀を一本取ることが大切」いうのだった。極端だが、あとは何本負けてもいいというのだった。もっとも真剣だったらそれでいい。
それだけに初めの一本に全精力が込められのだろう。それが彼の凄まじい突きである。一文銭や小石などを吊るして突きの稽古をしたようだ。
続く。
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