大石進(大石神影流)2
大江戸八百八町に旋風を巻き起こした巨人のふるう長竹刀
「日本剣豪読本」 新人物往来社より。 風の巻 名人剣豪編
二・負けるが勝ちの桃井と秘密兵器の千葉。道場破りに必死の抵抗
この大石流が江戸に現れた。 天保3(1832)年から4年にかけたあたりらしい。
「進が長竹刀を引っ提げて江戸に現れた時の旗本の驚きといったらなかったね」
勝海舟が三池(現大牟田市)出身・平民主義の野田大塊に言った言葉である。
「ご一新の騒ぎだった」とも言ったようだ。直木三十五がこれに着目した。あさり河岸の士学館・ 桃井道場に大石が姿を現したことにした。3代目の桃井直雄の時代である。
直木の「日本剣豪列伝」によると、この時、桃井は上田馬之助を出したという。が、これ
は全然与太である。
この時が天保4年だとすると、上田はまだ、はいはいしていた頃だ。天保2年生まれなのである。
それはそれで上田は負けた。
「そのはずよ。竹刀の先に鉛でも入っていたのだろう。」と桃井は見破ったと言うのだ。
受けはしたが竹刀の先が重い。だから、ぐにゃりと曲がって面の上にぽんと中ったのだ。竹刀には物打ちと言って先の部分約10cmのところがある。ここに、「物を入れて強くしたもの、鉄や木を入れたものを見たが、多分木であったろう」言うのは堀正平の「大日本剣道史」である。
が、藤島一虎の「幕末剣客物語」だと、すんなりと桃井春蔵直雄が立ち合ったこと になっている。その次第は、すぐに2人は立ち合った。相対した。二、三合竹刀の音。
春蔵は、長竹刀のことは知っていたから別に驚きはしない。前もって考えていたらしい。(六尺竹刀なんて法外だ。勝負を争うだけの競技にしかすぎない。剣本来の目的を忘れたものだ。) だから、二、三合竹刀を合わせると、「お見事、お見事、いや参りました」
竹刀を引くやさっさと師範席に退散。
大石は勝ったのだが、勝ちを譲られたも同様でまことにもの足らない。しかし、相手がさっさと引き上げてしまったのだから何とも仕方がない。勝ったが渋々引き上げた。
桃井は、負けるが勝ちという手を使ったのであろうか。だとしたらなかなかどうして老獪(ろうかい)である。
続いて心形刀流の伊庭道場、直心影流の石川瀬平次、下谷車坂の井上伝兵衛、小野派一刀流の鵜殿甚左衛門ら、に勝った。
やがて目指したのが北辰一刀流の玄武館・千葉周作道場だ。周作も待ち構えていた。負けるなどとは思っていない。考えもあった。だから、参観希望者も集めていた。
この中には、周作の先輩である音無し剣法の高柳又四郎もいたし、白井亨という猛者(もさ)の顔もあった。斎藤弥九郎や岡田十松も来ていたようだ。
検証は桃井春蔵だった。
大石と周作が道場の中央に出て来た。どよめきが起こった。大石は例によって、槍のような竹刀である。一方の周作は、丈夫そうな樫(かし)の大きな鍔(つば)が付いている四尺二、三寸の竹刀だ。その鍔は五、六寸はあろうか。両者異様である。道具には道具ということが誰にも分った。
やがて両者相星眼。竹刀の音はする。が、大石の突きはさっぱり入らない。胴切りも効かない。結局、勝負なし。
後世の誤伝がある。
「大石は例の六尺竹刀。千葉は四斗樽の蓋を抜いて鍔となし、之に応じた。互いに奮闘せるが、ついに勝負を決すること能わざりき」
同様なことが、山岡鉄舟の書いたものにもあるという。山岡は与太を飛ばしたりする男ではない。だから、まず当たらずとも遠からずであろう。
続きます。
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