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千寿の楽しい歴史
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2015石上神社の七支刀とみやま市の七支刀を持つ神像・千寿の楽しい歴史
石上(いそのかみ)神宮の七支刀とみやま市瀬高町の七支刀を持つ神像

平成27年2月4日に九州国立博物館での「日本古代と百済(くだら)の交流」を見学に行く。

国宝 「七支刀」の展示は2月15日までで、柳川の金子俊彦氏と共に見学する。


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古代日本と百済の交流  九州国立博物館編集

国宝 七支刀 古墳時代・4世紀  奈良・石上神宮

石上神宮(いそのかみじんぐう)は奈良県天理市布留町、大和盆地の中央東寄りに鎮座する日本最古の神社の一つである。部門の棟梁たる物部氏の総氏神として古くから人々の信仰を集め、古代から武器・武具をはじめ、優れた神宝類が数多く納められてきた。

この神宝類のなかでも異彩を放つのが神宮の神庫の「六又鉾(ろくさのほこ)」と呼ばれて伝えられてきた鉄刀・七支刀である。

本品は、両刃で断面形がレンズ形を呈し、考古学的には「剣」に分類されるが、ここでは「刀」として説明を加える。

中心をなす刀身から左右3本ずつの枝刃が段違いに伸びるその形状は他に類をみない特異なものである。しかし、この刀の特徴はその形だけではない。刀の輪郭に沿って1条の金線が象嵌(ぞうがん)されるとともに、刀身の中央部の表裏両面にあわせて61文字が金象嵌されていることである。

この刀に文字が象嵌されていることを明らかにしたのは明治時代、菅政友(すが・まさとも)大宮司であった。


みやま市瀬高町の「七支刀を持つ神像」

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七支刀を持つ神像  みやま市指定有形民族文化財   昭和56年2月23日

所在地 みやま市瀬高町太神字鬼木1678-2

七支刀を持つ神像  瀬高町の文化財より

太神字鬼木の因幡氏が、先祖代々祀り続けている祠がある。祭神は、異国風の服を着て、七支刀を奉持した男神と鏡を持った女神、カッパの像である。

こうやの宮は、久留米市、高良神社所蔵の天慶神名帳の磯上物部神(いそのかみもののべのかみ)と推定される。

ちなみに、七支刀とこうやの宮に関わりのある、古事記、日本書記などの記事を要約して」掲げる。

一・神武天皇東征軍苦戦の折、高天原より下された『ふつのみたま』が七支刀である。神武天皇は後に武功ががあった物部氏の祖先神にこの刀を授けられた。この刀は石上神宮(いそのかみじんぐう)に座す、とある。

一・古事記の応神天皇の項に「百済の国王、照古王大刀と大鏡を応仁天皇に貢った」の記事があるが、日本書記は「七支刀、七子鏡」と記す。朝鮮の百済記にもこれに符合する件があり、石上神宮の現存する七支刀の象眼の文章もまたこれと一致する。

一・日本書記と肥前風土記に「推古十年(六〇二)来目皇子勅を奉じ筑紫に至り、物部若宮部(神祭に従事した部氏)をして、この地に(肥前)社を建て物部の神を祭らしめられた。」とある。

太神の「こうやの宮」の神像が知られたあと、物部一族による七支刀の東遷説をとる郷土史家も多い。
太神地区は、大昔は海に近く、こうやの宮、物部田中宮、釣殿宮など15社とんどが海の神を祀り、なお、鍛冶屋が多かったことも特記すべきことである。


久保田毅文より

太神(おおが)鬼木に先祖代々祭り続けられている「こうやの宮」という小さな祠がある。
 
5つの御神体が3個の御厨子に分けられて祀られている。

向かって右の御厨子には、こうやの宮の当主であろうか衣服の胸に五七の桐の紋を付けた高貴な公家様、左の御厨子には、皿を頭に置いたカッパ像と、その右に白髪の老人、中央の御厨子には、鏡を手にした女神とその右に異国風の武士「七支刀を持つ神像」が並んでいる。

※平成14年、こうやの宮再建の折、厨子も一つにまとめて造り替えられ、今は並び順が変わっている。

七支刀とは、現在奈良県天理市にある、石上(いそのかみ)神宮に国宝として保存されている鉄鉾のことである。全長75cm、刀身の左右に互い違いに3本づつ枝刃が出て、刀身の先端を加えて七支刀といわれている。その刀身の表裏には60余字の銘文が金象嵌(きんぞうがん)されている。

その銘文から泰和4(369)年に百済の太子貴須から倭軍派兵によって高句麗を討った御礼に倭国王子に献上した刀である。

「日本書記」に、神功皇后が朝鮮百済から献上されたと記す「七枝刀(ななつさやのたち)」にあたると考えられている。

邪馬台国は、学者経験者の間には畿内説、九州説という大別されているが、女王卑弥呼の墳墓が注目されている堤古墳、権現塚があり邪馬台国の中心は瀬高である。学説によれば、七支刀は邪馬台国の発祥の地である瀬高町「こうやの宮」に大和朝廷が安定後、物部一族により天理市石上(いそのかみ)神宮に奉納されたのではないかと言われている。

天理市で七支刀が発見される以前からこうやの宮に「七支刀を持つ神像」を祀っていたことから、話題になり見学者で賑わった。

言い伝えによると、因幡家は代々こうやの宮の神職で祭礼も因幡家だけで行われていたが、藩政が終わり神田(宮の費用を賄う田畑)はなくなり、祭礼が出来なくなったので、鬼木地区で行うようになった。

昔は社田相当広く、周りは堀に囲まれ龍門があり、立派な石の鳥居があったという。祭礼も盛大に行われていたが、明治の大風で社殿が倒れ、昔のように復元も出来ず、今日の姿になった。

因幡家には、刀剣・烏帽子・かみしも・他種々のものが長持いっぱい保管されてあった。その中の剣は、異様な形をしていたと聞く。
1930年、因幡家が火災に遭い、跡形もなく焼失してしまった。

長島集落の秋祭りは10月19日。その祭典にあたり神官の祭典行事の初めは必ず、「こうやの宮」の神事から行われる。これから推測しても、このこうやの宮が当地区で最上位の宮であることが判る。


七支刀を終わります。






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by kusennjyu | 2015-02-05 18:17 | みやま市の歴史
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