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千寿の楽しい歴史
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2016「みやまの人と歩み 伊藤整一」の紹介・千寿の楽しい歴史
「みやまの人と歩み 伊藤整一」の紹介>

人物紹介  伊藤整一(1890年―1945年)

若い兵士の命を守り「戦艦大和」とともに沈んだ郷土みやま市高田町出身の現場指揮官。

現在の生家と記念碑建設作業中の風景

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父との約束

明治33(1890)年7月26日、伊藤整一は、三池郡開村(現、みやま市高田町黒崎開)の農家の長男として生まれました。

開尋常小学校から岩田高等小学校に進み、明治37(1904)年に中学伝習館(現、伝習館高等学校・柳川市)に入学しました。学校に寄宿舎が出来るまでの約2年間、家から柳川までの約3里(12km)の道のりを、毎日片道約3時間、往復6時間余りをかけて歩いて通いました。

放課後、家に帰り着くと、暗くなるまで父を助けて農作業を手伝いました。家事を手伝うことが父と約束した進学の条件だったからです。整一は、、家で教科書を開いたことはほとんどありませんでした。学校の授業に集中して勉強したのです。その日の予習や復習は、往復の通学の時間を有効に利用しました。「農業を継いでくれ」という父親の強い要望もあり、受験準備の遅れもあってか、伝習館は補欠入学で、1年生のころは、成績は振るわなかぅたと中学時代の親友が語り残しています。

しかし、3年生で特待生、4年生で級長、5年生の在学中には、当時、「第一高等学校か、海軍兵学校か」と言われるくらい最難関であった海軍兵学区を受験しました。


海軍兵学校・大学校へ

見事に合格した整一は、その年の9月、海軍兵学校へ入学しました。3年後の明治44(1911)年に海軍兵学校39期生総員148人中、優秀な成績で卒業しています。

大正2(1913)年水雷学校、砲術学校に学び、大正(1917)6年、海軍大学に進学して卒業しました。大正10(1921)年再び海軍大学に学び、大正12(1923)年の卒業に当たって、優秀な成績であった整一は、大正天皇より恩賜(おんし)の軍刀一振りを賜りました。

日米開戦反対

士官時代の整一は口数も少なく、自ら表に出るような人間ではありませんでした。しかし、軍人としての能力は非凡で、将来を期待された若手軍人でした。その後、軽巡洋艦「木曽」や重巡洋艦「愛宕」の艦長になり、他のエリート将校と同じように海外駐在も多く経験しました。大正12(1923)年のアメリカ派遣をはじめ、中国や旧満州地方などを転々とし、海外の情勢に通じることになります。

整一は、アメリカに駐在した経験から、当時のアメリカと日本の国力の差を理解していましたし、山本五十六・井上成美・下村正助などの、いわゆる「親米派」とも親交があり、ともに日米開戦に最後まで反対していました。

整一が少将となった昭和14(1939)年、日本は危機的状況に陥(おちい)っていました。満州事変から始まる関東軍の暴走によって諸外国との関係は大きく冷え込み、昭和8(1933)年には、国際連盟脱退を宣言して孤立化を一層深めてしまいます。この状況を打開するため、政府と陸軍はドイツやイタリアとの同盟を画策しました。シカシソレハ、アメリカとの対立を決定的にする極めて危険な政策でした。親米派の反対も空しく、昭和15(1940)年、日独伊三国同盟が調印され、整一は第一線から退くことになりました。


                 みやま市発行の「みやまの人と歩み」より

続きます。









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by kusennjyu | 2015-03-06 11:02 | 歴史学習会
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