2015櫨蝋の歴史と「木蝋の里みやま」(奈良~安土桃山編)・千寿の楽しい歴史
櫨蝋の歴史と「木蝋の里みやま」(奈良~安土桃山編)
1・はじめに
みやま市で平成19年から「木蝋の里キャンドルナイト」が始まる。私たち「みやまいいまち会」では平成22年頃から、櫨の木の植樹などを始め、次の年から高田町にある荒木製蠟合資会社と協力して「和ろうそく作り体験教室」を「道の駅みやま」から始めました。
その時に櫨蝋の歴史や使われている製品などをまとめて皆さんに「和ろうそく」の良さを分かってもらえるように「みやまいいまち会」代表の田中敬一郎氏がまとめました。
その資料と私が集めた資料に基づいて説明します。
2・奈良・平安時代の櫨蝋の歴史
太古においては燈火用として、種々の植物から、油や蝋を採取していたようです。
わが国では神武天皇時代には、すでに油があり、古い記録によれば、応神天皇時代(539年~571年)、仏教伝来と同時に朝鮮から種子を移入してからです。
飛鳥時代の天宝2(702)年、文武天皇が制定した大宝律令の中に漆樹(うるしき)の栽培奨励に関する記述があります。
櫨蝋に関する記述は、奈良時代の養老年間(717年~723年)に散見されるが、蝋燭は大陸からの輸入物であったと考えられます。わが国では、この頃より、漆実、櫨実、南京櫨実から油脂を採っていたと断定できない。
弘仁、貞観年代(810年~877年)に至っては、菜種油が全国に普及し始めていたようです。
平安時代(794年~1192年)に入ると中国との国交が途絶え、蝋燭も輸入されなくなります。菅原道真の建議(894年)により、遣唐使が中止されます。これを期に、松脂(まつやに)を固めた松脂ろうそくが作られるよいになり、漁村では魚油を松脂で固めた蝋燭もありました。
法隆寺の資財帳には、延喜、永観年代(901年~983年)の博学人、源順の和名類妙に蝋燭という名目があって、仏閣なでは、すでに蝋燭を使用していたことが明らかです。
3・室町・安土桃山時代の櫨蝋の歴史
中国から蝋燭の輸入が再開されたのは室町時代(1336年~1573年)になってからです。この頃の蝋燭が木蝋か、蜜蝋かははっきりしていません。
漆実を原料とする蝋燭が、宝徳年代(1449年~1452年)会津藩主・芦名盛信の頃から始められ、製蝋所で作られていたと記録されています。しかし、当初の木蝋は漆の実から精製されたが高価で手に入りにくいものでした。
室町時代後期の永世年代(1504年~1521年)の松浦宗案と伊予国主君・土居清良候との「農事問答集」に櫨の記述があります。
室町時代後期の永禄、天文年代(1532年~1570年)には、陸奥、越後の土産として蝋燭があったことが記録されていますが、この頃、木蝋の製造方法が伝来し、国産の和蝋燭の原型が出来たのであろう。
安土桃山時代の文禄3(1594)年、堺の納屋助右衛門が呂栄(ろそん)より帰って、蝋燭千挺を豊臣秀吉に献上したことが、日本物産の由来(秋鹿見二著)に記述されていることから、この頃には一部の上流階級に蝋燭が普及していたと考えられます。
櫨の原産地は中国から東南アジア・インド一帯である。
鹿児島における櫨の木埴栽及び製蝋は天正年間(1573年~1591年)頃、大隈半島の南西海岸にある小根(ねじめ)重長が毎年、中国に渡航する商船に托して櫨苗を取り寄せ所領地に植栽したとある。
続きます。
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