2015高田町の人物・龍駿介(画家)を紹介します。 「みやまの人と歩み」より

龍駿介(画家)を紹介します。
「みやまの人と歩み」より
画家としての前半生
龍駿介は、明治22(18899年9月6日、三池郡高田町大字亀谷(現、みやま市高田町亀谷)に父・種次郎、母・シカの二男と生まれました。清六が元の名前です。
青年期に画家を志して上京し、遠山五郎・山本森之助・南薫造に師事、川端画学校にも学びました。
昭和2(19279年の第14回光風会展、昭和4年の同16回展、昭和5年の同17回展に入選、また昭和4(19299年の白日会展にも入選して頭角を現します。この時期には山岳風景を制作出品していましたが、昭和5年頃より肖像画家としても名をなし、多くの肖像画を描いています。
昭和6年に柳川の伝習館講堂と柳川高等女学校講堂において個展を開催しました。昭和7年から8年春にかけて熊本県天草に滞在、昭和9年には中国東北部(旧満州)に渡り、それぞれの地の風景画を多数制作したようです。
駿介として活躍
昭和10(1935)年3月頃、清六を駿介と改名する。帰国後の昭和11(19369年には「万里長城附近戦跡洋画展」を開催しました。昭和12(1937)年には光風会展に「富士山」が入選する。同年には「那須風景」が朝鮮(現、韓国)の李王家の買い上げとなりました。昭和13(19389年よりは富士山を専門的に描くようになり、徳富蘇峰(とくとみ・そほう)らの推奨による「富士洋画展」を日本工業倶楽部や交詢社(こうじゅんしゃ)などにおいてたびたび開催しました。
戦後も富士山の制作を続け、たびたび富士油絵展を開催しています。戦後は東京都練馬区大泉町に住んでいましたが、昭和63(1988)年に永眠しました。
これまで忘れかけていた画家の一人ですが、平成のみやま市史編さん事業の中で再発見され、平成25(2013)年時点で約30点の作品が確認されるに至っています。
龍駿介の「富士山」
続きます。
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