高田町の人物・水野澄治(教育者)の紹介・みやまの人と歩みより

高田町の人物・水野澄治(教育者)の紹介・みやまの人と歩みより
勉学の日々
水野澄治(みずの・とうじ)は、嘉永4(1851)年1月、三池郡田尻村(現、みやま市高田町田尻)に生まれました。
明治3(1870)年から明治5(1872)年まで山門郡小川村金栗(現、みやま市瀬高町小川9の漢学者、西田幹次郎(にしだ・かんじろう、縮如何の塾(明倫堂・めいりんどう)で和漢文などを学びました。
そして、明治5(1872)年から7(1874)年まで自宅の私塾で近隣の青年たちに四書五経(ししょごきょう)を教え、地元から請われ小学校を開きましたが、再び学問を志し、長崎師範学校(現、長崎大学)に入学しました。当時の長崎県は西洋文化の先進地で、新しい教育を学ぶのには最適であったようです。
教育者として
明治11(1878)年に卒業してから、山門郡緑村松田小学校の校長に赴任します。そして、三池郡銀水村橘中学校助教諭を経て熊本九州私学校講師兼幹事、さらに埼玉県第三中学校教諭兼舎監など県内外での様々な教職に就きました。
また、行政関係では、初代大牟田町長(現、大牟田市)、三池郡町組合助役、岩田村長、三池郡視学兼郡役所教育課長などを歴任しました。
晩年は野町(現、みやま市山川町尾野)で郷土史の研究に取り組み、また詩文を楽しみました。大正6(1917)年死去、享年66歳でした。
水野澄治の私塾からは野田卯太郎を始め、多くの人材が巣立っています。
漢文
水野澄冶の師、西田宿堂が詩を作らぬのに反し、彼は「梅渓」と号して、よく詩文をつくり詩作は巧みであったと言われている。
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