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2015高田町の人物・矢ケ部信次(作詞家)を紹介します。 「みやまの人と歩み」より
高田町の人物・矢ケ部信次(作詞家)を紹介します。    

「みやまの人と歩み」より

薬学と作詞活動

矢ケ部信次(やかべ・しんじ)は、大正元(1912)年12月31日、三池郡江浦町(現、みやま市高田町江浦)に生まれました。

昭和5(1930)年、中学伝習館(現、伝習館高等学校)を卒業。昭和9(1934)年、長崎医科大学附属薬学専門部(現、長崎大学薬学部)を卒業し、九州大学医学部付属病院(現、九州大学病院)に勤務しました。

昭和11(1936)年、大牟田市上町に薬局を開業しました。同13(1938)年、下川梅子と結婚、この頃から作詞活動を始めています。

軍歌からこどもの歌へ
昭和18(143)年、大牟田の三井染料に就職し、日本作詞協会会員になっています。戦前の作詞は、「戦地の友へ」「暗夜の進軍」など、軍歌が多く、現状を批判的に眺めることは少なく、時流に歩調を合わせた作詞が多いのです。

戦後、民主主義の世の中になり、新生日本への希望を抱いた昭和20年代の終わりごろまでは、「あの町この町」「炭鉱の子守唄」など、若さに満ちたいきいきした明るい歌を手がけています。

昭和23(1948)年に日本音楽著作権協会会員になっていますが、同24(1949)年、毎日新聞社が募集した「新日本のこどもの歌」で、信次が投稿した「あの子も この子も」が応募総数1万252点中、第一等(一遍)に見事入選しました。この入選歌は、古関裕而(こせき・ゆうじ)が作曲、安西愛子(あんざい・あいこ)の歌でレコード化され、小学校の音楽教科書にも採用されました。

地域に根ざした歌詩づくり

これを契機に、中央の詩壇からも認められましたが、中央に進出することあく、地域に根差した詩作活動を続けました。同25(1950)年、三井染料を退職、江浦町で再び薬局を開業しました。

30年代以降になると失恋の歌や踊り子・虚無僧などのさみしい、心の影の世界をえがくようになりました。

また、「高田中学校校歌」「飯江小学校校歌」「江浦小学校校歌」「高田小歌」「江浦音頭」など、広く人びとに親しまれた作詞もあります。昭和53(1978)年1月28日、65歳で死去しました。


没後30年にあたる平成20(2008)年5月25日、「郷土が生んだ偉大な詩人 矢ケ部信次先生 追悼記念音楽祭」(主催高田町文化協会、後援みやま市教育委員会)が、まいピア高田大ホールで開催されました。岩田幼稚園の園児たちが「あの子も この子も」を歌い、叙情歌「笹舟流し」や「ぐみの木横町」、校歌などが美しいハーモニーで歌い上げられました。


おしまい。ありがとうございました。






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by kusennjyu | 2015-06-01 21:42 | みやま市の歴史 |Topに戻る