2015「淡窓咸宣園」と九州私塾ネットワーク・千寿の楽しい歴史

「淡窓咸宣園」と九州私塾ネットワーク
講師 別府大学名誉教授、咸宣園教育研究センター名誉館長 後藤宗俊先生

やながわ歴史文化講座
日時 平成27年7月18日(土)午後2時~
会場 柳川総合保健福祉センター水の郷
広瀬淡窓(ひろせ・たんそう)と咸宣園(かんぎえん)
広瀬家は延宝元(1673)年、初代五左衛門が博多から日田の豆田町に移住したのに始まるといわれています。屋号を堺屋、のちに博多屋とした商家です。四代目平八(月化)の時に経営の規模を拡大しました。淡窓は天明2(1782)年、五代目三郎右衛門(桃秋)の長男として生まれました。
淡窓は文化2(1805)年、長福寺学寮において講学を開始、その後「成章舎」「桂林園(荘)」と場所や名前を変え、文化14(1817)年、現在地に「咸宣園」を開きました。
「咸宣」とは、中国最古の詩集『詩経』にある「殷、命を受く咸宣(ことごとくよろし)百録是れ(にな)う」から来ています。「咸く宣し」とはすべてのことがよろしいという意味で、淡窓は門下生一人ひとりの意志や個性を尊重する教育理念を塾名に込めました。
咸宣園の教育
淡窓は、身分や階級制度の厳しい時代にあって、入門時に学歴・年齢・身分を問わない「三奪法(さんだつほう)」により、区別なく塾生を受け入れました。咸宣園は旭荘や青邨などの門下生に引き継がれ、明治30(1897)年に閉塾するまで、開塾以来およそ5000人もの門下生が学んだ。江戸時代を通じて最大規模の私塾となりました。
「入門簿」 入門者は、住所、氏名、年齢、紹介者(保証人)を記入しました。
「月旦評」 月旦評は成績表で、最下級の無級から最上級の9級の上まで19級に分かれ、1級から9級までの各級が上下に分かれています。昇級するには毎月の書・詩・文・句読の
詩業(試験)に合格する必要があり、これに素読などの課業の成績が加えられ、合格点に達すると翌月初めに張り出されました。この他に「消権(しょうごん)」(面接)の試験もありました。
「職任」 淡窓は門下生の学力や能力を高める一方で、人間性や社会性の育成にも努めました。そのひとつが全員で職務を分担する「職任」です。入門したての門下生も積極的に塾の運営に参加させていました。主な職任には、都講(塾頭)や主簿(会計)、咸儀監(礼儀指導)、酒掃監(清掃)などがありました。
淡窓の思想「敬天
淡窓は特定の思想に偏ることなく、さまざまな学説を広く尊重しました。そして、思索を重ねた末、善いことをすれば天に報われるという独自の「敬天(けいてん)」思想を確立し、門下生の育成こそが自分に命じられた天命という自覚を持って、その実績のため、日々の行動を「万善簿」に残しました。淡窓の思想は、著作『約言(やくげん)』『析玄(せきげん)』『義府(ぎふ)』などから知ることができます。
「敬天」 淡窓は「敬天」という独自の思想を展開しました。敬天とは天を畏(れおそ)敬(うやま)うことです。淡窓は、中国の古典である『詩経』『書経』『易経』『礼記』『春秋』『学経』の本質は敬天思想であると説いています。
「万善簿」 「万善簿」は淡窓が敬天思想の実践として始め、一万の善を摘むことを目標に、日常の行動を善行と悪行に分けて記録しました。善行から悪行の数を差し引いて集計し、通算していきます。54歳からはじめ、目標の一万善を達成したのは67歳の時でした。
続きます。
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青輝園のユリをTNCが取材する・千寿の楽しい歴史