2015直方に生まれた向野堅一物語(その2)・千寿の楽しい歴史

直方に生まれた向野堅一物語(その2)
向野康江著書「直方に生まれたつよくやさしい日本人・向野堅一」より。
2・従軍での活躍
商人を志した向野堅一が、日本の歴史上で頭角を現したのは日清戦争のときからである。多くの新聞でその活躍が報じられた。
戦前の人名辞典では、冒頭に「慶応四年(明治元年)い直に方市に生まれ、日清貿易研究所を卒業し、日清戦争で特殊任務・通訳官(陸軍附通訳官)となり、山崎恙三郎、鐘崎三郎等とともに金州牛島の敵前偵察の任務に従い、同行の士が皆な殉職した中に唯一人、九死に一生を得て帰還し、立派に使命を果たした勇敢なる人物である」と述べられている。
つまり、生きて帰ったのは向野堅一ただ一人であり、乃木希典に収集した情報に基づく地図を作成して献上し、日清戦争勝戦後、仲間たちの遺体を清軍から取り戻したのも彼であった。
向野堅一の武勇伝は、後に、戦前の子どもたちへの教訓的な物語の主人公になる。雑誌「キング」をはじめとして、「つよくやさしい日本人」として理想的日本人の一人に数え上げられたのは、昭和15(1940)年の『講談社の絵本』においてである。
内容は0、日清戦争で、一度捕縛されたものの命からがら逃げ出して、飢えて死にそうになったときに、見知らぬ自分の命を助けてくれた中国人村長・恙士采の孫・恙捕甲を養子にして、恙村長の希望通りに学校(現早稲田大学)に進学させるほどの恩義に厚い人間だったからである。
堅一の『日清戦争従軍日記』は、明治27(1894)年9月19日に広島大本営より招集され、10月15日に宇品を出発するところから書きはじめたものである。
日清戦争に勝利できたきっかけは何であったか。これを考えたとき、堅一が
提出した情報がかなり功を奏した。そのことについて、大寺安純参謀長が堅一のことを「我ガ愛子ナリ」と言っている。堅一には多額の年金が支給されており、根津一に連れられて明治天皇に拝謁し、勲章や明治天皇の寝巻きを賜っている。
日清戦争従軍以後、堅一は、台湾の仏教普及活動に従事する。地元民に信頼厚き通訳官としての堅一の、そのときの様子が、最近発見された『台湾浄土』(教安寺、平成七年)によって明らかになっている。
そして、香月海外(香月恕経の息子)や河北純三郎とともに明治29(1896)年に創立した筑紫洋行において、台湾から戻って以降、商業活動に従事していた。
ところが明治32(1899)年に起こった義勇団事変(北清事変)で焼き討ちにあった。筑紫洋行は筑紫城門前に位置してからである。それでも派遣軍の物資調達に尽力した。
日露戦争では軍需品の確保や輸送にあたり、兵站部を担当する。日露戦争での活動はその功績を讃えられながらもいまだに詳細ではない。

続きます。
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