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千寿の楽しい歴史
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2016幸若舞 敦盛奉納・千寿の楽しい歴史
幸若舞 敦盛(あつもり)

平成28年1月20日   大江八幡宮奉納

鼓方:松尾正巳  太夫:松尾拓尚  シテ:松尾素直  ワキ:松尾健志

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敦盛

「コトバ」送りの者申す。是は御使いの身にて候、急ぎ御死骸を御座船にお移しあれと申す。基国開いて、げにげに思いに応じて候とて、敦盛の御死骸を我が船にお移し申し、大船に漕ぎ寄せ、この由かくと申し上る。
門脇殿も恒盛も、なに敦盛が討たれたると申すか、さん候と申す。

「カカリ」ああら不思議や敦盛は、

「イロ」一門の船に乗り、阿波の鳴戸にあるよしを、風の便りに聞きし程は、いかばかりうれしかりつるに、熊谷が手にかかり

「フシ」さては討たれてありけるかと、涙ながらに出で給う。女房達にとりては、女院のはじめ奉り、むねとの女官百六十人 裳袴のそばを取り、皆船端に立ち出でて 是は夢かやうつつかと、一度にわっと叫ばれしを、物によくよくたとうれば、これやこの釈尊の御入滅の二月や、十代御弟子 十六羅漢、五十二類に到るまで、別れの道のお嘆き、かくやと思いしられたり。

「イロ」 ああらいたわしや父恒盛は、落る涙のひまよりも、ああらむざんや敦盛、一の谷を出し時 故郷の方を見送り 心細げに立ったりしが いさめばやと思いああら不覚なりとよ敦盛よ

「フシ」 三代槐門の家を離れ 骸を野山に埋み 名を万天の雲居に上るべき身が

「イロ」 郎党の見る目をも恥よかしと言うてあれば さらぬ体にて渚まで下りしが笛を忘れて候とて、取りに帰りし其の時 ともに帰らんと思いつれども 敵味方におしへだてられ、又二日とも見ざりしなり、情けある熊谷にて

「フシ」 形見にこれまで送りたり、むなしき死骸この形見 今日は見つつ 明日より後の恋しさを誰に語りてなぐさまん のう人々と の給いつつ もだへこがれ給いけり、平家方の 人々は今 一入の涙なり

「コトバ」 其の後熊谷がおくりたる状を召し出され 大将なればこの状を もし義経ばし送られけるか。使いは是非をわきまえず、ただ門脇殿へとばかり申す。とても伊賀の平内左衛門へと書いたる状にてあるあいだ 家長文をつかまつれ

「カカリ」 承り候とて

「サシ」 船のせがいにひざまづき 状をたまわりさしあげ 高らかにこそ読うだりけれ

「コトバ」直実謹んで申す 不慮にこの君と参会し奉し間 直に勝負を決せんと浴する刻、俄に怨敵の思いを応じ かえって武芸の勇消へ あまつさえは守護を加え奉る処に 多勢一同競い来たって 東西にこれは居る かれは多勢 これは無勢はむかいかえって張良が芸を慎む、たまたま真実は 生を弓馬の家に生まれ 巧みを洛城にめぐらし 命を同す 陣頭が夕べ 瀬々万々に及んで 自他かくの面目を施せり、さても此のたび、悲しきかなや此の君と直実、深く逆縁を結び奉るところ、嘆かなしきかな つたなきかな、この悪縁を翻すものならば、永く生死の絆を離れ 一つ蓮の縁とならんや 閑居の地所をしめつつ 御菩提を懇に弔い申すべき事 誠偽り後聞隠れなく候 この趣をもって 御一門の御中へ 御披露あるべく候、よって恐惶 慎しゅんで申す、元暦元年二月七日 武蔵の国の住人、熊谷次郎直実進上、門脇殿の御内なる 伊賀の

「カカリ」平内左衛門尉殿へと読うだりけり、

「イロ」御一門雲客郷相同音に

「フ シ」「あっ」と感じ 給いげにや、熊谷は 遠国にては、阿傍羅紗、夷なんどと伝えしが、情けは深かりけるぞや

「コトバ」文章の達者さよ、筆勢のいつくしさよ、かほどやさしき兵に返状なくしてはかのうまじと、大臣殿の返状を経盛の自筆にてあそばしたぶ、使は文を給り、急ぎ一の谷に漕ぎもどり、熊谷殿に見せ奉る、熊谷いかにして、弓矢の冥加なくしては、経盛の御自筆を拝み申さんと、三度いたゞき、ひらいて拝見つかまつる

「カカリ」その御書にいわく、

「イ ロ」敦盛が死骸ならびに遺物給りをわんぬ、この度花洛を打ち立ちしよりこの方、なんぞ再び思いかえす事のあらんや、盛んなる者の衰ろうるは無常のならい、会える者に別るゝ事えどのならい、釈尊羅□羅、天の一子の別にあらずや、いわんや凡夫をや、去んぬ七日に打ったちしよりこの方、つばめ来って語らえどその姿を見ず、帰雁つばさを連ね空におとずれ通るといえどその声は聞かず

「コトバ」されば彼の遺跡の聞かまぼしきによって

「詞 状」天に仰ぎ地に伏しこれを祈る、神明の納受佛陀の感応をまつ所によって、七日が中にこれを見る内には信心をいたし外には感涙袖をひたすによって生れ来たれるに会えり、喜楽の芳意なくしてはいかゞその姿を再び見ん、すみすこぶる須弥のいたゞきひきうつして、滄海かえって浅し、すゝんで是を報ぜんとすれば、過去遠々たり、退きこたえんとすれば未来ようようたる物か、万端多しといえど筆紙につくしがたし、これは武蔵の熊谷に返し状とぞ読うだりける、去る程に熊谷よくよく見てあれば

「カカリ」菩提の心ぞおこりける

「イ ロ」今月十六日に讃岐の八嶋を攻めらるべしと聞いてあり、我れも人も憂き世にながらえて、かゝる物憂き目にも又直実や会わんずらめ

「フ シ」思えばこの世は常のすみかにあらず、草葉のおく白露、水に宿る月よりなおあやし、金谷に花を詠じ、栄花は先立って無常の風に誘はるゝ、南楼の月をもてあそぶ輩も、月に先だって有為の雲にかくれり

「ツ メ」人間五十年、けてんの中をくらぶれば、夢まぼろしの如くない、一度生を受け滅っせぬ者の有るべきか、これを菩提のたねと思い定めざらんは口惜しかりし次第ぞと思いさだめ、急ぎ都に上りつゝ、敦盛の御首を見ればものうさに、獄門よりも盗みとり、わが宿に帰り、御僧を供養し、無常の煙となし申し、御骨をおっとり首に掛け昨日までも今日までも、人に弱げを見せじと、力を添えし白真弓、今は何かせんとて三つに切り折り三本の卒塔婆と定め、浄土の橋に渡し、宿を出でて東山、黒谷に住み給う、法然上人を師匠に奉り、もっとい切り西へなげ、その名をひき変えて、蓮生坊と申す、花の袂の墨染めの十市の里の墨衣、今きてみるぞよしなき、かくなる事も誰故、風にはもろき露の身と

「フ シ」消にし人のためならば、うらみは更に思はれず


この幕終わり。





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青輝園の御座敷ユリ展・平成27年7月5日撮影分

青輝園のユリをTNCが取材する・千寿の楽しい歴史

by kusennjyu | 2016-02-14 20:13 | みやま市の文化財
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