人気ブログランキング | 話題のタグを見る
千寿の楽しい歴史
kusennjyu.exblog.jp
ブログトップ
2016幸若舞 安宅(あたく)下・千寿の楽しい歴史
幸若舞 安宅(あたく)下

平成28年1月20日  大江八幡神社奉納

鼓方:松尾正春  太夫:松尾哲郎  シテ:永江哲也  ワキ:松尾勇輝

安宅(下)

2016幸若舞 安宅(あたく)下・千寿の楽しい歴史_a0137997_964845.jpg



2016幸若舞 安宅(あたく)下・千寿の楽しい歴史_a0137997_972093.jpg



2016幸若舞 安宅(あたく)下・千寿の楽しい歴史_a0137997_973745.jpg



2016幸若舞 安宅(あたく)下・千寿の楽しい歴史_a0137997_975651.jpg



2016幸若舞 安宅(あたく)下・千寿の楽しい歴史_a0137997_981271.jpg



2016幸若舞 安宅(あたく)下・千寿の楽しい歴史_a0137997_983340.jpg



「コトバ」西塔の武蔵、たんだ一すぢに思きり、藤塚手取打こえ、さしも、侍かくる、富樫の城に入たるは、人にかわって、覚て有り、山伏の方にて、有間、れんじゅ千方をこそ、よむべきに、武蔵なにとか思ひけん。千方をもよまずし、高念仏と申して、あげつつ門よりつっと入て、城のていを見るに、まつぽぞにこそこしらえたれ。表のやぐら拾三所、脇のやぐら九ところ、二重三重に高矢ぐらをあげさせ、東表を見渡せば、鞍置馬四五拾疋引立てこそおいたりけれ、西の塔侍には、富樫が若と百人計りなみいて、ひき目くったり、矢はいだり、碁将棋双六に、心をいれたる所も有、又ちやく座を、見てやれば、四拾斗りなるおのこの、兵紋のひきたれに、烏帽子のさじきを、たんぶたぶとあげさせ、ふんどうにさしかかかり、わか侍に双六打せ。

「カカリ」じょごんしていたりけるは是ぞ此国の。

「ツ メ」おゝ富樫の助とおぼへてあり、ああら口おしや、時こそあれひこそあれ、富樫の御出たる所に、なにがし来たるは、つめたる業とおぼへてあり、しのばばやと思ひしが、見えたる事のなきさきに、かたきにけごをみえられては、あしかりなんと存ずれば、大のこはねをさし上、熊野山の山伏が、仏法仕行の其ために、出羽の羽黒へとうり候、時料たべとぞかうたりけれ。

「カタキリ」富樫御覧じて、持たる扇にて、たゝみの表を丁と打て、ヤー、あれを見よ人々、愚人夏の虫とんで火に入るとは、よくこそこれはつたゑたれ。心をつくして侍かくる所に、西塔の弁慶こそ、たんだ今きたったれ、打てはれからめよ、ヒャー、さし縄なんどとひしめいたり、もとより武蔵、我身の上とはしつたれ共、聞ぬていにもうてなして、大木小木の、花ながめ、そらうそふひて立たりけり。

「コトバ」時刻もうさず富樫が若党百人ばかり、真黒によろい、弁慶を真中に、おっとりこむる。「武蔵是を見て、」はやりゅうの若者共に、ひしびしと打とられては、あしかりなんと存ずれば、笈かけながら富樫の居たりける縁のはなに、するすると立寄り、如何にのう、富樫殿、以前よりは、如何なる野心な、張行のものを召しをかれ、只今参つたる法師までも、浮目を見んずるやらんと、よくよく承りて候へば、此の法師が見の上と聞なしたるは、空事ぞうか富樫殿。「富聞いて」わ御坊は判官殿の御内なる、膝元去らずの西塔の弁慶にてはなきか。

「武蔵聞いて」ヘェーどこえぞ、それ山伏の名の世の常多しと申せども、膝元去らずなどと言ふ山伏の名の、今こそ聞いて候え。

「富樫聞いて」左様に才覚の廻って弁舌の明らかなるが、弁慶にてはなきか。

「武蔵聞いて」左様に才覚の廻って弁舌の明らかなるが弁慶ならば、さのたもう、富樫殿も、左様に才覚の廻って、弁舌の明らかなるが、さって、御身も弁慶か。

「富樫聞いて」なんとも陳ぜば陳ぜ、只弁慶と言ふ。

「武蔵聞いて」こう申す法師がひたいに、もし弁慶と言ふ、字ばし据って候か。

「富樫聞いて」ホーホー字据ったると同じ事よ、鎌倉殿よりたんじょうのある上は、疑いよもあらじと言ふ。

「武蔵聞いて」ヘェーよもたんじょうはあらじ、たばかり事に言うよと思い、ししょうのあらば見んと乞うた。

「富樫聞いて」あゝらむざんや弁慶が、いつまで命ながあえんと、たんじょう、こうつるやさしさよ、それそれ見せよ仰せければ。

承ると申して、富樫が若党四・五人座敷をはらりと立って、八尺屏風をとり出し、武蔵が前に颯と立て「カカリ」絵図をざらりと投げかけ、弁慶に見する、写しもうついたり、書きも書たる絵師かな武蔵が丈は、六尺二分、「フ シ」絵図も六尺二分なり、色黒く、丈高く、まなこのにくぢを写いてあり。あまつさえは、武蔵めが、左の目先に、あざのあるまで写づいたはのがれつびようは更になし。

「コトバ」武蔵心に思うよう。今は又言葉をかえ、陳ぜばやと思い、如何にのう富樫殿以前にこの法師、熊野山伏とは、御身の心そっと引見申さんがためなり、是こそ歓進帳がござあるべし、こなたえ、たべ拝まんとこわる。

「武蔵聞いて」南都の勧めとは伸べたれども、歓進帳があらばこそ、持たぬと言わば棒打ちふせらりようず、又持ったと言わばあらばこそ、是非をわきまえかね立つたりしが、いやいや持ったと言はばやと思い、おろかなり富樫殿、それ三国一の大がらんの、すゝめをなそうず歓進ひぢりがなど歓進帳を持たいであるべきか、是非見参に入れんとて笈をひつたとおろしおき、からげ縄、ふるふるとひっといて、上段に手を入れ、からりからりとさがせども、都にて入れたる事の候はねば、

「カカリ」笈には更になかりけり。武蔵あまりの口惜しさに、目をふさぎ。

「フ シ」南無や八幡大菩薩、源氏の氏子をば、百王百代守るらんとの御誓いと承りて候ぞや、一ッの瑞相を、見せしめ給えやとうからり、からりと、探さるる、げにや八幡大菩薩の、あたえたびけるが、都にて此度、入れたりとも、覚えぬ、しぜんの、往来の、巻物一巻候いけるを、おっ取てさし上て歓進帳はこれにあり拝み給えと見せにけり。

「コトバ」「富樫御覧じて、こなたえたべおがまんとこはる、」

「武蔵此歓進帳が誠の歓進帳にて御座あらば如何に富樫がおがむまじいと言とも押へて拝ますべけれども、是はしぜんの往来なり、あやしめられ、あしかりなんと存ずれば、愚かなり富樫殿、夫、十善帝王だにも冠のこしをかたむけ拝ませ給ふ歓進帳を、いはんや御身大俗の身にて、手にとり拝むものならば、五体すくんで立どころにて、危しとをどす。」「富樫武蔵におどされ、さあらば夫にて遊ばされ候へ、是より聴もん申さんと言ふ。」

「武蔵此歓進帳を読み応ぜんな不定、読み損ぜんな治定なり、読み損ずる物ならば人手にはかゝるまじい、あれについて立たる白柄の長刀、ひんぼうで、飛んでかゝらん若者共を、思ふさまにおっぱらい、あれに引いて立たる、あしげの駒の瓜かたそうの、いかにかけあしのはやかるらんに、ひんぼうで打乗り、みまんどへ参り一の刀にて、御前がいし奉り、武蔵の腹を切らうず。」

「君御腹を召れなば十一人の人々も、皆々腹を切らうず、生きては功をなさずとも。」

「カカリ」死んでは功をなすべきなり。
日頃我君七生までと、契りをおかせ給たる、あたごの山の太郎坊、平野山の次郎坊。


「ツ メ」山々の、小宮、天宮、天皇、八神、八生神、ごづめんづ、あぼらせつ、い行いるいの鬼どもを引ぐし候て、ほんもうならば関東へ、せつなが間に乱入って、箱根山の峠より黒雲の棚引き、電光を飛せ、玉を磨く鎌倉に、志やぢくの雨を降らせ、八ツ七郷を洗い流し、にくかりし梶原を、そうなくも殺さずして、百鬼人に仰せ付け、熱鉄の湯を沸し、口の中に流し入れ、六プ五臓を、焼払い、七代子孫の取殺して、ほんもを遂るならば、かん志よう状にて、あらずとも。あゝら人神と武蔵目が、あをがれんずる事どもを、あんの内と思ひければ、ちっともさはぐけしきはなし。


安宅(下)割ります。





みやまいいまち会  クリックして見て下さい。

 「③みやま市の直近ニュースと出来事など(平成28年2月上旬)」

「ぶらぶら♪みやま(みやま市観光情報誌平成28年2~4月号)」 「②みやまの直近ニュースと出来事(平成28年1月下旬)」 

   
みやま市観光協会公式WEB

梅野家歴史資料館  みやま市瀬高町大草女山932

梅野家庭園    4月  5月  新緑  6月  11月 梅野家の紅葉   季節を楽しんで下さい。

梅野家歴史2(傘寿を迎えて・梅野茂芳著者)・千寿の楽しい歴史   白蓮さんの写真が載っています。


梅野家歴史資料館(有明新報・平成27年1月16日号掲載)

女山史跡森林公園は史跡と紅葉の穴場。

梅野家の庭園(有明新報掲載・平成27年1月15日号)

青輝園   御座敷梅ユリ展

青輝園の御座敷ユリ展・平成27年7月5日撮影分

青輝園のユリをTNCが取材する・千寿の楽しい歴史

by kusennjyu | 2016-02-19 09:08 | みやま市の文化財
|Topに戻る