2016邪馬台国勉強会(日向神社・八女津媛神社)・千寿の楽しい歴史

邪馬台国勉強会
日向神社・八女津媛神社)
熊川猛司宅 平成28年6月9日
資料は講師の熊川猛司氏資料を借用しています。
奥八女に残る神話と伝説

高千穂峰や高千穂峡国周辺をはじめとして、天孫降臨地はいくつもあるが、奥八女にもまた日向神峡を中心として、黒木町・矢部村に天孫降臨が伝えられている。
日向神社(黒木町)には『日向神本記』なる縁起が伝わっていたというが現存せず、『日向神案内助辨』(宝暦12年・1762年)に収載される逸文によって、その概要をうかがうことができる。
瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)は、この地に天降り、木花咲耶姫(このはなさくやひめ)を娶り彦火火出見尊(ほこほほでみのみこと)・火明尊(ほあかりのみこと)・火闌降尊(ほすせりのみこと)の三御子神を生む
火明尊を日向神に留め給いて日向神明神となし、彦火火出見尊と火闌降尊の二尊は日向国に遷し給う。
といった内容が説かれる。また日向神峡の一帯には空室・古敷岩屋・湯ノ瀬・茅原・竹刀などの地名があって、産所・産衣を埋めた所・産湯を使った場所・産所の屋根を葺(ふ)いた茅(かや)を刈った所・臍胞を切った竹刀を埋めた場所などと、それぞれに天孫降臨伝説に連なる話が付会されている。
日向神明神となった火明尊にまつわる話も、蹴穿岩(けほぎいわ)や蹴穿石として伝えられる。ちなみに日向神という地名については『北筑雑藁』などに、その昔、日向国から飛んできた神が住むところからついたと説かれている。
日向神峡からさらに奥の矢部村一帯にかけては、八女津媛(やめつひめ)の伝説地でもある。
『日本書記』景行天皇条には、丁酉、八女県(やめあがた)に到る。即(すなわ)ち藤山を越えて、以って南粟崎(あわさき)を望む。詔(みことのり)して日(もう)さく、其の山の峰岫(くき)重畳(かさな)りて、且 (か)つ美麗(うるわ)しきこと甚(はなはだ)し。
若し神其の山に在るか。時に水沼県主(みるぬまのあがたぬし)猿大海(さるのおおあま)奏して言(もう)さく。女神有り。名を八女津媛と日(い)う。常に山中に居ます。故に八女国の名、此れに由るりて起これり云々
『誰にも書けなかった邪馬台国』 村山健治著
日向神社と「ヒミコ」 P215より
堤から見た春分秋分の日の出地点は、清水山頂からやや南に稜線が下がった所である。堤とこの点を結ぶ直線状上に清水寺がある。大同元(806)年に唐から帰国した伝教大師が、建立した寺である。弥生のころ、この直線上は聖域という認識がある。
この線を東に延長していくと、八女郡大淵村月足(現在の八女市黒木町大字大淵字月足)にある 日向神社にぶつかる。
鳥居を通ってしばらく行くと、急傾斜の石段があり、それを登っていくと最上部に古びた拝殿がある。
日向神神社の祭神は天照大神・爾爾芸命・木花之佐久夜毘売だる。この神社を建てたのが神武天皇から7代目の月足彦と月足姫と伝えられている。
この神社にまつわる塩の話が古文書『南筑明覧』に残っている。それによると、日向神社の猿が大昔、黒崎の鼻に潮汲みに来ていたというのである。黒崎の鼻とは、矢部川河口に位置する大牟田市黒崎のことだ。
日向神社 福岡県八女市黒木町
天孫降臨伝説にはこの社を中心に根強いものがあり、周辺には伝説に付会した地名が多い。
境内には三御子神のうち、この地に留まり日向神明神となったホアカリニミコトが、蹴って穿ったという蹴穿石がある。
八女津媛神社 福岡県八女市矢部村
養老3(719)年、創建との由緒があり、語祭神は八女津媛神社である。
明治以前までは六所権現社と呼ばれ、神仏混交の信仰が続いている。
続きます。
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