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千寿の楽しい歴史
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2016大牟田空襲第28集より「三度の空襲体験」・千寿の楽しい歴史
三度の空襲体験

平成28年度 夏季平和事業

平成28年7月31日午後2時~4時  

大牟田市中央地区公民館
  
大牟田の空襲 第28集より  NY氏

○大正15年生れ(現在90歳)

○空襲時住所  大牟田市松浦町69

○家族構成  父母、長兄と次兄は戦死。姉2人(長女は結婚)、三兄(三井染料、召集なし、本人(松屋会計係勤務)

空襲体験

6月18日夜、空襲警戒警報が鳴ったので、私は夜12時頃に松屋に駆けつけたが、やがて正面玄関のシャッターを破壊して、焼夷弾が屋内に入り込み燃えあがったので、橋本営業部長の指示で10余名の社員がバとき、ケツリレーで火を消し止めた2階以上は事務所になっている三井染料の社員7~8名が外に出ようと下に降りてこられたが、そのときは松屋の周りの店舗は炎に包まれていた。

そこで、染料の社員さんたちは屋上へ駆け上がって行かれたが、翌日朝に3階の踊り場のところで焼死されていたことを知った。私たちは橋本部長の「外に出ろ」との声で頭から水をかぶると外に飛び出した。火の粉と雨のように落下する焼夷弾を避けながら我が家へと走った。

松浦町の16戸の町内は無事だったが、それから1ケ月程して強制疎開を命じられ、行くあての無い5~6戸の家族は町内で作っている裏山を利用した横穴式の大きな防空壕で共同生活をすることにした。父と私は、母だけをここに残して次姉婿の松屋社宅(西有名町、姉婿は満州に出兵)に住むことにした。

次の7月27日夜の空襲で、西有名町の次姉の社宅が焼夷弾で焼けたが、父と
姉・私の3名は姉の社宅前のマンホールの蓋を開けて逃げ込んだが、続々と人々が入り込み、煙が入り込んできたので、父と私は上がるが、姉がなかなか上がってこなくて、やっと姉が上がって来た時は父の姿がどこにも無かった。

四方から火が迫ってくる。姉と私は燃えている商店街の中を突ききり国鉄浦駅へと走った。浦駅の外には小さいドブ川(深さ30cm近く、幅2m近く)があり、そこに頭だけ出し、横になって空襲の終わるのを待った。やっと空襲解除となり上がったが、まだ盛んに燃えているところと、焼け落ちてくすぶっている所があり、見渡す限り立石耳鼻科のコンクリートの建物を除き、焼け野原であった。

ふと、左手の方から海岸に逃げた父の姿が見え、私たち3人は無事を喜び合い、松浦町の防空壕に帰って来た。すると、防空壕の住人だった5人家族の人がいて強制疎開でまだこの人たちの家1戸だけ崩すのが残っていたので、夜は家に寝ていて空襲警報が出ても防空壕まで走る余裕がなかったのか、御主人は奥さんと娘さん3人を床下の壕に入れて外に様子を見に出られた時、焼夷弾直撃で4名が亡くなられたのである。

8月7日は、昼間に工場目標の爆弾攻撃。この日、私はいつものように松屋の残務整理を手鎌のお寺を借りて5名ほどでしていた。正午頃の工場爆撃で手鎌の日本軽金属にも爆弾が投下されて、爆弾のすごい音に夢中でお寺の外に飛び出し近所の防空壕に逃げたが、その途中で戦闘機に見つかり、機銃掃射を受けて身体すれすれに飛んでくる弾丸に生きた気はしなかった。

空襲が終わり我が家の防空壕に帰ると、壕の住人がお母さんと2人の5歳と3歳の兄弟が昼に壕の上の山に登り遊んでいて、空襲警報のサイレンで急いで壕に帰るのを戦闘機にみつかり、機銃掃射で兄弟は手をつないだまま亡くなっていた。その夜、壕の中で数名になった町内での通夜、幼い遺体を囲みながら誰も無言であった。

翌日は8月9日、仕事に行く元気もなく壕の外でボンヤリしていた。少し高くなっている壕、見渡すかぎりガレキ、海まで見通せる。

そのとき、海の向こうの地の底から湧き上がるように登って行くきのこ雲、「ネエ、あれなんやろ」、私は壕の中に声をかけた。皆出てきたが、広島の原爆投下も知らせない政府が分かるはずはない。
「あれ、日本が作った新兵器じゃなか」と、誰かが言った。今、あの下で多くの人たちが殺され、多くの人たちが傷つき、逃げまわっているとは知らず、原子雲を見ていた。

8月15日、終戦。私は日本が戦争に負け、悔しいという思いより、ああ今日からゆっくりと安心して眠れることが嬉しかった。戦争は本当に残酷です。戦争で亡くなった兵士ばかりでなく、小さい子供からお年寄りまで多くの人たちが亡くなります。
私も2人の優しかった兄を戦地で亡くし、大牟田大空襲三度を逃げ回り、傷つき、機銃掃射で死ぬ思いをし、身近の人たちの死を見て、戦争は絶対してはいけないと思います。

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ありがとうございました。








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by kusennjyu | 2016-08-02 16:46 | 歴史学習会 |Topに戻る