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千寿の楽しい歴史
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2016『骨肉』にみる大正期の向野家の家庭内教育・千寿の楽しい歴史
『骨肉』にみる大正期の向野家の家庭内教育

平成28年9月17日記念発表会 

皆川氏発表より

場所  向野堅一記念館にて

はじめに

『骨肉』は、ただ子ども達の好みを伝えるものではなく、教育的な意図を有する手作り回覧雑誌なのであり、向野家の教育的な志向を色濃く反映していると考えられる。 

『骨肉』創刊号

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現在存在が確認されているのは25冊、『満州旅行記年号』を入れると26冊である。

その内、裏表紙に「髑髏」の絵が描かれているのが15冊である。

『骨肉』の髑髏の絵

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『骨肉』メンバー

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『骨肉』は向野堅一の息子4人と従兄弟が主となって活動している。

なぜ髑髏に興味を持ったのか。

父向野堅一と竹田黙雷

竹田黙雷は安政元(1854)年、壱岐(現・長崎県)に生まれた。

各地を歴参ののち、梅林寺の三生軒猷禅玄達の法を嗣ぐ。

明治25年、39歳で建仁寺派管長に就任する。

父堅一と親しい関係、建仁寺住職就任に際して、入門、得度している。

禅宗に「髑髏の美」というものがあること、向野家にドクロの描かれた水墨画があったこと、

その上、「父親を通して禅宗の「髑髏の美」に子どもたちも興味・関心をもったのではないか。

「髑髏は二八の美人」  竹田黙雷の著『大機大用』項に記している。

内容は禅宗では髑髏の賛に、往々、次の句を書く。

山花菊似錦  澗水湛如藍

髑髏の賛としては似つかないように思われるが、そうではなくて髑髏の賛としては絶好の参事である。髑髏とは人の忌み嫌う汚穢なものであるが禅では綺麗なものと観る。

人間の本地の風光と言うのは、二八の美人が白粉をつけ、べにを差して盛装を凝らした時ばかりが本地の風光では無い。

白骨と成って髑髏と化した時も、青春花の如き時代と、寸分、変わらない。そこを詠んだのが「山花開いて錦に似たり、澗水湛へて藍の如し」と言うのである。

見るからに嫌な気のする髑髏の如きものを、「山花」と見、「澗水」と見てゆくのは、如何にも面白い。

このように禅宗では、自然を巧に使って、自由自在に禅を捌いて行くから、禅と自然とは深い関係がある。

「寒林」「胎實」

黙雷の著書に『禅の面目』があり、そこには、「寒林」「胎實」という文字が見出せる。

これらの文字は、堅一の戒名「教外院寒林胎實居士」に用いられている。

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これは向野堅一と竹田黙雷の親交が蜜であったことを示す一つの出来事として数えて良いであろう。

なお、堅一の「寒林居士」という名は、すでに『骨肉』にも見出せる。

おわりに

ドクロの絵は、竹田黙雷の野堅一に対する影響の現れであるとともに、日露戦争を体験したことによるドクロの流行、山岡鉄舟のドクロの書画が向野家に残っていることから、子どもたちはドクロについて考える機会があったことを確認した。


続きます。







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by kusennjyu | 2016-09-21 09:09 | 歴史学習会
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