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千寿の楽しい歴史
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2016五條家の宝物・千寿の楽しい歴史
五條家の宝物

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五條家

五條家は清原家の一流で、代々明経道を以って朝廷に仕えた公家であった。

五條家の始祖頼元は、後醍醐天皇の御信任厚く、時に南北朝戦乱に際会し、延元元(1336)年、皇子懐良親王、御年7、8歳の幼少の身で征西将軍宮に任ぜられ給い、鎮西下向に当たり、勅命により、その補佐のため随従する。

親代わり、また学問の師として教導傳育成につとめ、終始親王に供奉し、足利追討の軍務を補佐する。

各地に転戦し、吉野を出でしより26年目にして、悲願の九州平定の偉業は成し遂げられる。

頼元は、正平22(1367)年、78歳にして、筑前三奈木の荘に卒する。

2代良氏、3代良速、4代頼治、5代良量、いずれも父祖の志を継ぎ、征西将軍宮懐良親王、後征西将軍宮良成親王を守護し奉り、矢部を本拠にして、忠誠、苦節を全うした。その後、南北朝合一後も矢部の地にあり、有力な土豪として、隠然たる勢力を保持した。

戦国時代に至りて、当時九州において一大勢力を誇った豊前大友氏に属し、13代鎮定は大友宗麟に仕え武将として名を挙げた。

天正15(1587)年、豊臣秀吉の九州平定、天下統一の大方針の中で、領地を没収され、大友義統の好意により豊後玖珠に移住、大友家衰退後は、肥後の加藤清正に五百石の知行にて仕え、八代に転住する。

清正公が亡くなった後、14代長安は大友家に仕えていたときの盟友でもあり、再び柳河藩主となられた立花宗茂公に仕えた折、寛永3(1636)年、大淵三河守に迎えられ、旧縁の地である、この地(大淵)に還り、現在に至っている。

明治30(1897)年、22代頼定は祖先の勲功により、華族に列せられ、男爵を授けられた。


公家唄い

上の「公家唄い」のクリックして動画を見てください。

公家唄い

一 こちの座敷は祝いの座敷 鶴と亀とが舞あそぶ

二 鶴と亀とは何してあそぶ 末は、繁盛と舞あそぶ

三 とどけとどけは末までとどけ 末は鶴亀五葉の松


五條頼元卿のうた

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後醍醐天皇綸旨

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後醍醐天皇が亡くなる前日に側近の公家によって書かれた命令書、また遺言書ともなっている絶筆です。

当時、密書は襟に縫い込んだりして運ばれたが、これはまげの元結として運ばれたとか。

約9cm四方の小さなもので、御旗祭りではこれも一般公開されます。


後村上天皇宸筆書状

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「金烏の御旗」・五條頼元着用の鎧兜・襖絵などは御旗祭りのブログで見て下さい。

現在は第25代当主の五條元滋さん(60歳)が宝物を受け継いでいる。

元滋さんは「個人の所有物だが、地域の大淵・八女市・ひいては国のものであるという気持ちで守って行きたい」とあいさつで話しました。


有難うございました。





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by kusennjyu | 2016-09-26 13:59 | 歴史学習会 |Topに戻る