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千寿の楽しい歴史
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2016三池街道せたか道(太神の神々)・千寿の楽しい歴史
三池街道せたか道(太神の神々)

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宇津良姫社(宇津良比女神) 宇津

景行天皇、筑紫国巡行の時黒崎より宇津に至る航路を守護した女酋長、よって浮島に墳墓を営んだ。飯江川、緑川の合流点、宇津海域を領有する大地主神の娘である。

塚の手前の石塔が宇津良姫塚、地蔵尊が父神、大地主神を祀る。飯江川の安手橋を南(高田)方向に渡ると左が天満神社があり右の奥20mにこんもり木が茂った場所で鉄板の架け板を渡る。

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天満神社  宇津 

飯江川の南岸側にある。学問の神様、菅原道真公を祀る。宇津部落の産土神である。

田中の神(物部の田中神)  長島東(字日出)

古代信仰のごとく、御神体は石を3つ並べてあるのみ、12月25日に長島東の田中昭宏家が祭典を行っているが、昔は北の端の鬼木組6,7軒の人が中心にある各宮に出向き祭事を続けたが民俗行事として興味ある伝承である。

祭祀方式は稲藁と青竹のみで神前の飾りし、御供飯はご飯5合を黒と朱色の盆にのせ梅の新枝を黒盆には垂直に朱の盆は水平にさして供える。お供え物として米、酒、野菜、果物をそえる。

古代稲作住民が天地自然の恵みを神に感謝の心を捧げる古来の祭りの形式である。ここを中心に西に野田天神(金錠の神)南に出店天神(大神社)東に日出天神(田中神)北に中小路天神(田中社)の天道さまが祀られている最も古い信仰形式である。

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御幟の杜(みはたのもり)(太神神) 長島東

この所は天智天皇、御幸の時に御幟を奉祀(し)した所である。現在も毎年例祭の時には釣殿宮の御幟を建て祭祀を行っている。

場所は長島東部落の飯江川の安手橋から瀬高方面に150mの東の道路沿いにある。釣殿宮はここから田んぼの先東100mに見える。
 
鉾楯の杜(ほこたてのもり)(ひろたけさん)(野神)

昔、高貴な方の行列には鉾と楯と旗を奉持してお供をした。その神鉾をご神体として祀った宮。戦国時代、島津の武士が持ち去った「金の鉾」があり宮元家の先祖、荘丹八段が奉納した記録がある。神紋は八弁の菊花紋。

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釣殿宮(長島国玉神)  長島東(字釣殿)

釣殿宮は昔には腹赤宮(はらあかみや)と呼ばれた。天智天皇(皇太子の時)が西国修業の折、筑後江の崎(大和江崎)より船で小佐島(長嶋)に着かれた時、里人が網を引き赤い腹の魚を食事に出し気に召され名を尋ねられたところ、にべ(鰚はらか)と答えた。天皇になられてから毎年、大宰府にこの魚を献上し、また祝いの魚とした。後年に天皇の行在所の地に釣殿を建立し、付近に旗を立てられた所を御幟(みはた)といい、鉾をたてられた所を鉾立の宮森(ひろたけさん)と称して今に残る。例祭には漁民の参拝者多く御神幟を神体として崇めた。社記には天皇の御親翰(ごしんがん)一軸を社殿に納めてあったが鹿児島の島津家の手にはいり家宝となったと記されている。また東方の古島には神籠水を安置された。
腹赤魚をめぐる古文献があるほど由緒深い土地柄で見逃せない。社には豊漁を祈願し、これを象徴したとみられる日月と釣針をえがき「次 宮元土佐守 文明十九年(1487)之八月吉日」と書かれている旗が伝えられている。

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釣殿宮内 西の宮(阿志賀野神) 長島東(字釣殿)

釣殿宮境内にあり、古文書(天慶神名帳)に残る山門二十六前の一つ「物部阿志野神」(大黒さん)と思われる。

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太神宮(だいじんぐう)(太神国玉神) 長島東(字宮ノ前)潟橋東50m道路北沿い)

天智天皇、小佐島(長嶋)に行幸の時、仮の御室(むろ)として神籬木(ひもろぎ)を建て毎朝東方の朝日を拝まれた地。三宅連得許(むらじ)が奉祀し、のち宮元長者が崇拝してきた。祭神は天照大神で、社紋は八つ日足(ひもろぎ)である。
場所は釣殿宮の脇の大根川を北に80mさかのぼり潟橋を東に渡り二軒先の北側にある。

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天満宮 古島

天満宮は長島古島地区の産土神である。以前は下小川のお宮の系統で、下小川祭礼の風流行列の座組に入ったと聞く。現在は12月10日に古島だけのお祭となっている。

若宮さん 古島

村の中心部の林に若宮神社の小堂がある。若宮さん、よどひめさん、カッパさんの三体を祀る。天満宮と一緒に祭礼を行っている。お祭りの日は昭和30年位までは、お座(宿)の当番の家で朝食の会食が行われ、天満宮の境内では鉦や太鼓をならし賑わっていた。

旧暦の5月が「水の神」を祀る月で、現在春の彼岸に古島地区では「河童まつり」300年以上続いている。わらで作った大たこ、大いか、盃、と、竹作りのひさご(徳利)、を笹竹に吊るして川岸から川上にたらすように供える。村人はお宮で彼岸ごもりをして河童まつりをする。秋彼岸を過ぎると河童は山に行って山童(やまわっぱ)となり、春になると川へ帰って来る河童さんから人々がひかれないように(水難よけ)との願いをこめ、酒肴をお供えしてお祭りをする。

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河童まつりの河岸の飾り

長島の周辺の民家では井戸神のことを水神様と呼ぶ。5月5日はその祭で、「河童さん祭り」と呼ぶ。川や各家の井戸、汲場に篠のついた竹を立てて、藁苞に塩・イリコ・米を包んで下げ、酒を竹筒に入れて祭るという。

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こうやの宮(磯上物部神社) 栗の内(鬼木)保育園そば

太神鬼木(おおがおにき)部落の人達が先祖代々氏神として祀り続けている小さな祠がある。中に五体の御神体が安置されていて異国風の服を着て「七支刀」を持った男神と鏡を持った女神、カッパ像などがある。

奈良県天理市で七支刀が発見される以前からこうやの宮に七支刀を持つ神像を祀っていたことからマスコミで話題となり見学人で賑わったこともある。町指定有形民族文化財に指定されている。

七支刀とは、現在奈良県天理市石上(いそのかみ)神社に国宝の鉄鉾で刀身の銘文から泰和4年(369)百済の太子貴須から倭軍派兵によって高句麗を討った御礼に倭国王旨に献上された刀である。

「日本書紀」に、神功皇后(じんぐうこうごう)が朝鮮・百済(くだら)から献上されたとしるす「七枝刀(ななつさやのたち)」にあたると考えられている。七支刀は、いったん邪馬台国の発祥の地として有力視されているみやま市太神の「こうやの宮」(磯上物部神社)に安置され、大和朝廷が安定後、物部一族により天理市の石上神社に奉納されたものと一部の郷土史愛好家の中で推定されている。


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終ります。有難うございました。





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by kusennjyu | 2016-10-03 08:45 | 三池街道 |Topに戻る