2016菅原道真公絵巻(天井絵)の解説・巻一前半・千寿の楽しい歴史

菅原道真公絵巻(天井絵)の解説・巻一前半
肥前一宮 與止日女神社
巻一 菅原是善と道真少年の出会い・前半
仁和・寛平(885~898)年間に、天下無双の漢学者がいた。その名は菅原道真。
その名は学問の神様とも、また、漢詩の本主とも呼ばれていた。
没後、故あって道真は北野社に祀られる。寛弘元年(1004)、一条天皇は、自ら北野社に参拝。以後、万民の尊崇を集めた。
北野の天満大自在天神の名は、天下に響き渡り、参拝客が後を絶たなかった。
是善(これよし)の南庭に、5から6歳ばかりの少年が入ってきた。見るからに賢そうな子どもである。
これを見た是善は、「ただの子どもではない。」と直感した。是善は、いろいろと問いかけた。少年は、「私には、父も母もいません。」と答えた。
是善は、「ならばワシがそなたの親になろうぞ。」少年は、是善になついて養育された。

場面 一~三
これは菅原是善の館。
承和十二年といえば、当時、是善は文章(もんじょう)博士、従五位下であった。
とりたてていうほどの荘園からの収入があるわけではなく、財政はけっして楽なものではなかった。それを象徴するかのように、屋敷の荒廃が眼につく。門を一歩入ると、中庭がある。いくつもの建物が鍵の手に立ち並ぶが、この屋根の破れようは眼にあまるものがある。簀子・妻戸・扉など建築の細部が整然としている。

場面 四~五
是善邸の寝殿である。庭に、5、6歳ばかりのかわいい少年が立っている。簾越しにこれをみかけた是善が、簾をめくると手招きした。庭には、桜の老樹が、爛漫の花を咲かせている。
「そこな子供、ちょっと、ここにおいで。」それを聞いた道真少年は、にこにこしながら階段を登り、簀子の上に座った。それから、2人の会話が始まる。が善は、この聡明な少年が、すっかり気に入った。
是善の居それと室。格子を高くあげた中には、菱文様の唐紙を貼った障子がめぐらされている。二階厨子(ずし)には、巻物や冊子など漢籍が山と積み上げられている。
※寝殿:身分が高い貴族が暮らす屋敷。
※厨子:仏具や本を入れる戸棚。本棚。
道真少年、梅の歌を詠む
嘉承3年(850)、道真少年は、11歳になった。養父の是善が道真を呼んだ。「どうじゃ学問の方は、ちっとは進とんだかの。」と優しく問いかける。「そうじゃ。」と是善は一計を案じた。「ひとつ詩を作らせてみよう」と。
是善の言葉も終わらないうちに、それと悟った道真は、手許の紙にさらさらと詩を書いた。
これを見た是善は舌を巻いた。年端もゆかぬこの子どもが・・・「先が楽しみというものじゃ」とひとり喜ぶのであった。
道真、父の代わり『顕揚大戒論』の序を執筆する
貞観4年(826)4月17日、道真は文章生に補せられた。
話は弘仁10年(819)のこと。伝教大師最澄は、唐から帰朝すると叡山に戒壇を設けることを請願した。3年後、不本意のうちに没するが、その年、建立の宣旨が下る。
ところが、他の宗派の僧たちが反対した。その時、慈覚大師円仁は、「顕揚大戒論」の執筆に取り掛かっていたが、稿半ばにして
没した。弟子の安慧和尚がこの仕事を引き継ぎ、八巻にまとめ上げた。
安慧和尚は、是善を訪問して、その序の執筆を請(こ)うた。是善は、事の重さに考え込んだ末、道真にその仕事を譲った。
ときに貞観8年11月。道真はまだ若く、位階も文章生。本来なら、こんな大役を引き受けるべきではなかったのだ。

場面 六~七
是善の居室。二階の部屋には、巻物や冊子などが積み上げられている。白の浄衣に念珠を手に掛けた是善は、脇息に寄りかかっている。簀子の上には、家司(かし)が控えている。
父の下命を受けた道真は、料紙・硯箱を借りると、一気に詩をしたためた。詩の文句になかなかの才知がほのめくが、一字一字の書もまた見事なもの。筆のあとを追う是善は、自然にほころぶのであった。
場面 八~九
叡山の安慧和尚のご入来とあって、是善は色めき立った。「なに、みどもにその本の序を掛けとな」。『顕揚大戒論』の内容を聞いた是善は、たじろいた。これは、ぜひとも道真に、と心に決めた。
老若の2人は、是善・道真の父子。僧衣の人が安慧和尚。
「なるほど、是善どのの仰せのとおり、この御仁、大した器(うつわ)じゃ」と、安慧和尚は、ただただ感じ入った。
※念珠:数珠。
※家司:家に仕える人。
巻一後半に続きます。
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