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千寿の楽しい歴史
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2016菅原道真公絵巻(天井絵)の解説・巻三前半・千寿の楽しい歴史
菅原道真公絵巻(天井絵)の解説・巻三前半

肥前一宮 與止日女神社

巻三 道真の亡霊、雷神と化して清涼殿の時平を襲う

時ならぬ雷鳴霹靂(らいめいへきれき)で、内裏(だいり)のうちが真っ暗闇となった。
人々は肝をつぶした。やがて、一大音響とともに、清涼殿の屋上に落雷した。雷神は、道真の亡霊であった。

気丈な左大臣藤原時平は、太刀を抜いて、大音声に呼ばわった。「朝廷に仕えているときは、そなたは我の次に席次していたではあいか。たとえ、いま神となろうとも、なぜにか礼儀を乱してよいものぞ」と虚空をにらんで立ちはだかる。

帝はといえば、御衾(おふすま)を引きかぶり、恐れおののいておいでになる。守護神はおわさぬか。とおろおろ声。女房の一人が「稲荷大明神こそ、おいででごじます」と励ます。

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場面 四十六~四十八

これは清涼殿。雷鳴の一大音響とともに屋上に落雷した。道真の亡霊が、雷神となって襲ったのだ。

殿上の公卿たちが、右往左往する中で、時平は太刀を抜いて、雷神に立ち向かった。むくむくと湧き出す黒雲に乗った雷神が躍動的に描かれている。

截金(さいきん)を打った縦横に走る稲妻が、この場の効果を、ひときわ盛り上げている。

尊意僧正、宣旨により宮中で護法を行う

帝は、恐れおののいて、叡山の座主・尊意のもとに三度も宣旨を送った。道真の亡霊鎮魂の護法を行うためであった

途中、鴨川は洪水で水が氾濫して、とても渡れそうになかった。が、不思議にも尊意の車が渡るときになると、水が引いて、陸地ができた。車は難なく通ることができた。

法験(ほうげん)めでたく、皇威(こうい)も一天に振うばかり。いよいよ天神の亡霊をなだめまいらせるのであった。

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場面 四十九~五十一

帝から三度の宣旨を受けた尊意はようやく腰を上げた。それにしても、鴨川が洪水と聞いていたので、はたして渡れるかどうか心配であった。が、みるみる間に、陸地となった。

「やよ、みたかや。水がにわかに引いたぞ。それ、車を入れよ」というので、尊意の車は、鴨川の中に生じた新道の中に乗り入れた。牛飼(うしかい)や供僧(ぐそう)たちが、ことの不思議を口々に語り合いながら、川を渡るのであった。

左大臣時平、道真の怨霊に悶死(もんし)する

延喜8(908)年8月、藤原菅根(すげね)は神罰のため死亡した。翌9年3月、藤原時平が病気にかかった。が、一向によくならない。

そのうち、道真の亡霊の災いと感づいた。浄徳大徳(善相公・三善清行の子)という若い僧を頼んで、4月4日に加持を営んだ。

その日、善相公が時平邸を訪ねると、時平の両耳から2匹の青蛇が鎌首をもたげている。蛇がいう。「早く、調伏を制止していただきたい」と。善相公は、このことを浄倉に告げた。やがて浄蔵は退出した。時平はほどなく息絶えた。

その後、一族の者が次々に死んだ。いずれも、道真の怨霊のたたりであると、人々は語りあった。

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場面 五十二~五十三

左大臣・時平の邸の寝所。時平は、いま瀕死の床で、衾(ふすま・夜具)を引きかぶり、鉢巻姿で脇息(きょうそく)に寄りかかる。左右の耳からは、青い蛇が鎌首をもたげている。

相座するのが善相公と、その子の浄蔵大徳。蛇は道真の亡霊である。善相公に向かって、「われは、いま、梵天(ぼんてん)・帝釈(たいしゃく)の許しにより時平に怨みを報ずるものなり。なにゆえ、じゃまだてをなさるのか」と。これを聞いた浄蔵は、つと立って退出した。ほどなく、時平は絶命したのである。

源公忠(みなもとのきみただ)、頓死(とんし)してよみがえり参向(さんこう)する


延喜23(923)年4月に、右大弁・源公忠は頓死したが、3日後に蘇生した。息子の信明(のぶあきら)と信孝に付き添われて、参内した。公忠は帝に奏上した。

閻魔王宮で丈(たけ)が一丈(いちじょう)という大きな男に会った。束帯を着飾り、手には金の文を挟んでいる。男がつぶやくのを聞くと、「醍醐天皇のやりかたは、ぞんざいというもの」という。みれば、道真ではないか。そばには30人余りの、王宮の役人が居並んでいる。

やがて、第二座にいた役人が口を開いて、「醍醐天皇こそぼんやり者よ。改元(かいげん)でもすればよいものを」と嘲笑った、と。

これを聞いた帝は、恐れて、道真を故・右大臣として、一階を加え正二位を追贈した。また、改元して、年号を延長と改めた。

清涼殿、落雷の災いに遭う

延長8(930)年6月26日未刻(みのこく・午後2時頃)、清涼殿の西南の柱に落雷があった。そばにいた大納言・藤原清貫(きよつら)の袍(ほう)に火が飛んで、一瞬の間に火だるまになはやけどでた。右中弁・平希世(たいらのまれよ)は顔をやけどして、柱の下に倒れた。

平是茂が弓を手に立ち向かったが、たちまちのうちにつぶされて死んでしまった。近衛慰忠包はやけどで死に、紀陰連(きのかげつら)も煙と炎に巻きかれて、もだえ死んだ。

これは、天満自在天神の十六万八千眷属のうち、第三使者の火雷火毒王の仕業であった。

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場面  五十四~五十五

清涼殿。閻魔王宮から蘇生した右大弁・公忠は、信明・信孝2人の息子に付き添われて参内した。簀子(すのこ)に座しているのは、参内中の殿上人。階下の3人が、公忠父子である。

3人は、ともに束帯の装束に威儀をただしている。一歩進むのが公忠、後ろの2人が信明・信孝。公忠は、礼拝を終えると、閻魔王宮での一件を奏上した。

「あれは身の丈一丈はありましたか。束帯姿は、たしかに道真殿とおぼしました。-」と。

場面  五十六~五十七

清涼殿の惨状。不気味な黒雲。金の截金を打った稲妻が、直線的な電光を発する。飛び火が、四方に散る。一瞬、めらめらと紅蓮(ぐれん)の炎が簀子や柱をなめる。公卿や殿上人、あるいは衛府(えいふ)の武官がこの修羅場を逃げ惑う。

画面の左手前、柱のそばの黒い袍が燃えているのが、大納言の清貫。その隣、もう一本の柱の下に倒れ伏すのは、右中弁・平希世。


続きます。






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by kusennjyu | 2016-12-14 15:36 | 歴史学習会
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