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千寿の楽しい歴史
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2016菅原道真公絵巻(天井絵)の解説・巻六・千寿の楽しい歴史
菅原道真公絵巻(天井絵)の解説・巻六

肥前一宮 與止日女神社

巻六 道真、配流の途中 周防の国・勝間の浦で誓う

菅原の右大臣は、高位高官に昇り、詞書に親しみ、広く漢学に長じ、その才能は抜群のものであった。当代きっての詞文の大家で、政務にもたけておいでになった。

が、無実の罪によって、縁起(演技)の初めの年に、太宰権措置として配流せられた。太府において3年の流謫(るたく)生活で、ふたたび都に帰るチャンスはなかった。やがて天神となり、一時のうちに三界(さんかい)をめぐられた。

やがて朝廷は太政大臣の官を贈り、正一位の位階を授けられた。天神に祭られてから後は、天下の人々がこぞって尊崇(そんすう)した。かの御託宣の記によれば、天神の住所は済度衆生界(さいどしゅじょうかい)であるという。

官位を望む者には栄運を開き、寿命を祈る人には、長く齢(よわい)を保つものである。また、富貴を望む者には財宝が授かり、文学をたしなむ者には、高い才知を授かる。往生を願う者は、たちどころに悟りを開く。さながら、水が器に従うようなものである、という。

やがて、道真は、大宰府に配流の道すがら、周防国勝間の浦に到着された。一夜の宿は、粗末な漁師のあばら屋であった。いままで見聞きしたことのない貧しい宿りで、涙にかきくれた。この土地は、まだ帝土を離れていない。願わくば、ここに居を定めたい、とお誓いになった。その後、海上のあたりに一筋の光明がさいた。瑞雲(ずいうん)は酒垂山の山頂に満ち満ちた。この奇端(きたん)に驚いた時の国司は、随喜(ずいき)の涙を流すのであった。

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場面 百十五

すると、庭先に、蹄の音がする。みれば、立派な栗毛の駒。「これなる馬は、私が積年飼い馴らしました馬。どうかお引きくださいませ」と。

場面 百十六~百十七

これは、周防国勝間の浦の浜。道真が配流の途次、この地に居を定めんと誓われたという。そのことがあって、はるか後の日のこと。海上に一筋の光明が発するのを見た者がいた。やがて、このことは国司の館に注進された。

国司は、束帯に威儀を正すと、海浜に急いだ。輿(こし)をかき下すと、国司は水際まで進んだ。白張(はくちょう)の奥丁(おくちょう)たちの目にも、ありありと光明がみられた。

「不思議やな。菅公さまが、その昔、御誓いの言葉を残されたそうな」人々は、海上はるかに合掌して、礼拝した。国司は驚き、随喜の涙を流すのであった。

国司、松崎天神社を建立する
その時、国司は社殿の建立に着手した。りつぱな宝殿が完成して、この社を、松崎の社と名付けた。

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場面 百十八

小高い丘を切り開いて、地を定めた。測量を終えると、礎石が打たれた。夜を日についで、工事が進められた。この日も、国司みずから工事現場に臨んだ。材木の上に敷物を敷き、童の差し掛ける蓋(ふた)の下で、檜扇を操っている白狩衣が当の国司。丘の麓では、乗用の馬が控えている。畚(ふご)を担ぐ人足が、忙しく立ち働く。

場面 百十九~百二十

これは、木作りを終わった社殿の木組が始まっている。梯子を掛け、足場を組んで、一本一本、大きな材木が棟に担ぎ上げられる。後ろの山を懸命に削り取る者。狩屋の内外で、木作りに励む者。ともどもに、当時の工巧(こうしょう)の姿が、活々と描かれている。

白鬚をたくわえ、白髪まじりの太鼓腹を突き出した老人。墨縄を片手に、人々を督励(とくれい)して回る。「こいつめが。寸法を狂わすまいぞ。この墨縄で、しっかりと引き当ててみよ」と、どなり散らしている。

松崎天神社の繁栄

以来、年々、季節や月並みの祭典は、すべて周防国の営みとして、歴代の国司が精勤(せいきん)を励んだ。

わけても、三代の聖人(しょうにん)が尊崇の念があつく、日々の御供や社殿修理の御料田を寄進して、年ごとに供養の法筵(ほうえん)をのべた。

ここに従五位下・土師(はじ)信定は、この天神の神徳(しんとく)をいただき、後世善処にして観音蓮台(れんだい)の仏果を与えたまわんことを。一度でも、この絵巻を開く者は、一期万歳の運命を心に任せて、極楽往生ができますように。

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場面 百二十一

縹渺(ひょうひょう)として広がる瀬戸内海の海。中に浮かぶ島々。海浜には海人(あま)の苫屋(とまや)が立ち並び、扁舟(へんしゅう)がもやっている。

場面 百二十二

田園を耕す農夫の姿を横目に、旅の主従の騎乗姿が見える。中黒の矢を負い、弓を手にした従者が従う。太刀持ちの童が、振り向きざまに、「あれに鳥居が見えまする。社ももう、眼と鼻の先でございまする」と告げる。

場面 百二十三

馬上を壺装束の女が、社参に急ぐ。前を行く御幣担ぎの男が、旧知の間か、口取りの男に、やいの、やいの。美形のお供で、結構ではないかよ。」と返す。

はるか竹やぶのかなたは、このあたりの土豪の屋敷であろうか。鳥居の手前には、ひと並びの板葺き小屋がみえる。

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場面 百二十四

鳥居をくぐると、小さな摂社(せっしゃ)がある。折から、山桜が風にあおられて、花吹雪を散らす。尼の主従と、山伏の1人が、敬虔(けいけん)な祈りをささげる。

場面 百二十五~百二十七

鳥居を入ると、参道の両側に斎垣(いがき)がめぐらされている。行く手に、壮麗な社殿が結構美を尽くして、展開する。

境内は、人の行き交いも激しい。稚児を連れた僧。被衣姿の女主人に従う少女。はるばる社参に駆け付けた老夫妻。

水屋の傍らに、桜の老樹が、爛漫の花をつけている。遅い紅梅が、いまを盛りとっている。遠く、鐘楼が望まれる。白亜に朱塗りの建物が、森厳な神域をひときわ引き立てている。

石垣をめぐらした基壇(きだん)の上に、重層な楼門がある。左右を回廊がめぐる。格子が下ろされている。拝殿を隔てて宝殿がある。左右に狛犬が置かれ、階下には左右の随身がみえる。拝殿の中には供僧が参拝している。

宝殿の後ろの庭には、摂社・末社が小さな軒を連ねている。翠(みどり)したたる山を背に、朱塗りの社殿がひときわ映える。まこと、神徳のあらたかな天神社である。現在の社殿が、ほとんど、この画面に似ていることは、再建のたびごとに古式を踏襲(とうしゅう)するからであろう。

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終わり。






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by kusennjyu | 2016-12-29 17:56 | 歴史学習会 |Topに戻る