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千寿の楽しい歴史
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2017幸若舞 高館(上)・千寿の楽しい歴史
幸若舞 高館(上)

鼓方:松尾正光  太夫:松尾素直 シテ:松尾健志 ワキ:松尾拓尚

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去る程に鎌倉殿、梶原をめしての御定には、いかに梶原承れ、誠にぎけい(義経)がむほんにおいて、うたがう処なし。いそぎ義経をたいぢし、世をおさめんとの御定にて、長崎の四郎に参百騎を下したぶ、長崎参百騎を給はり、いそぎおくにも付しかば、さいそく廻しせいぞろへ、安衡がたちによりきし、照井の太郎を筆とりにて早着到を付くる、先惣領ならば安衡、次に錦木戸、四郎元吉、ひづめの五郎玉づくり、野馬くら殿御兄弟、其外の人々に、きつその弥七木原の源吾、雲居の小太郎、阿津瀬の刑部、中島の与藤次、松島玉つくり、小島の兵藤を先として、名字のさむらい七百余騎、其外都合つはものども七千三百余騎と早着到を付る。仰々頃はいつなるらん、文治五年うる四月お二十七日、今日た日がらよからず、明日の辰の刻にむかうべしとさだめ、大田、山口、中村に、すでに陣取てひかへたり。扨(さて)も高館の御所へは、敵向ふよしを聞召し、侍たちを召さるるに、宵ひ迄は、侍八人、大将共に九人と聞くへしが、つぐる日の御合戦に、侍九人、大将共に拾人の、
「カカリ」由来をくわしくたづぬるに、
「イ ロ」紀州熊野の住人鈴木の三郎重家有(ある)夜鈴木女房に、かたりけるは、何某思ふ事ありて、此あかつきに奥州へ罷り下り候べし、心のままに罷り下り、君も目でとふましまさば、
「フ シ」明年の夏の頃、たよりの文をまへらせん、夏の頃しもすぎゆかば、浮世は不定のならい、道の草葉のつゆしもと、きへぬる世と思し召しあとをば、頼み奉る。いとま申してさらばとて、ぢたいが鈴木殿、熊野そだちの人なれば、山伏の姿に、様をかへ、笈とつて、かたにかけ、物うき竹のつへをつき、そのふしぶしに、よをこめて、藤城を立いでて、はやここのへに、つきにけり。人目しのぶのたびなれば、いつしか、はなの、みやこをば、かすみとともに、立いでて、大津の浦よりふねにのり、海津の浦にあがりつゝ、北国道の浮きなん所を下らせ給ひける程に、人にやどをからざれば、あるいは野にふし山に臥し、七十五日と申には、奥州衣川高館の御所に付にけり。
「コトバ」鈴木なんとか思ひけん、笈すずかけを、かたわらにとりかくし、笈の中よりも打かけを、とりいだし着るままに、十二ふるいたるあみ笠を、ふかぶかとひ(引)つか(込)うで、高館殿のていを、見奉るにふしぎや、紀州藤城にて、承り及し時は、ひばん当ばんそしょう人、さながらみうちにみちみちて、門外へは、駒の立てどもなきように、承り及びしが、是はなにとて、さびしく御座あるらん、ふしぎさよと思ひ、もんのからいしきに腰をかけ、みうちのていを、心しづかに聞いたる。扨ても高館の御所へは、敵向ふ由を聞し召し、侍たちをめさるゝに、いつもかわらぬ武蔵坊をさきとして、以上八人君の御前にかしこまる。判官御攪じて、いかにかたがたが、手にかけ、首をとつて、関東へ参せよ、くんかうけじょうにあづからば、奉公の忠には、後世をばとうてたべ、
いかに、いかにとおふせけれども、御べんじ申す者もなし、片岡亀井の六郎が、目と目をきつと見合て、こは口おしき御定かな、たれあつて、此内にも、我君の御首を給り、鎌倉え、こうさんの申すべきぞ、今迄落ぬ人々は、皆御供とこそおぼすらん、さわいながら、此内にも、おちんと思ふ人のあらば、ひらにいとまを申して落ちよ、たれもうらみはのこるまじいと、座敷をきつと見渡せば、
「フ シ」すずしく、申されたるものや、たれもかように申したき、御ぺんじにて候ぞや、おもうにかたきあかつきよすべし、大手からめてと、ふたてにわけぬ事あらじ、みかたはたとへ、むぜいなれど、両陳にむらがつて、いくさは花を散らすべし、まだほのぐらき、そう朝に、あれは大手是はからめて、なんどゝて、声をば聞くともすがたはみじ、我も人も心しづかに有時に、かみえ申して御酒給はり、さいごのなごりを、おしむべし、尤然るべしとて、種々の大平い大づつを、でんへ申しいだしつつ君も御出ましまして、
 女房達のお酌にて、かみえさかづきすはりけれど、下は以上八人、三ごんの酒すぐれば、のちにはたがいに入れみだれて、思ひざし、思ひどり、自酌自もりの楽あそび、舞つうとふつのむほどに、亀井が呑だるさづきを、武蔵殿に思ひざし、立つてん舞にける。
「サ シ」靏菜山には千年ふる。
松の枝には靏すく、岩おがかたに亀あそぶ。
「コトバ」しほり三つ鴨の入れ首をひともみもうで、鴨の羽がへしをさつささいて、立廻る所に、門外を見てやれば、
「カカリ」太刀はきばさんだ男子の
「フ シ」あみがさまぶかに、引かうだるが、からいしきに腰をかけ、亀井が舞を聞いたる。
「コトバ」亀井の六郎もたれなるらむと思ひしに、げにと思ひ世になれば、舞をば、すでに舞ひをさめ、酌に手かけていたりしが、かどなるおのこの声として、だいのこわねをさしあげ、のうのうみうちへ案内申し候らはんと、たからかによばわる。
「フ シ」なりをしづめて座敷には、
「コトバ」たれなるらんと聞所に、西塔の武蔵此声をききつけ、あれはかたきのやつばらが、案内けんみの其為に、
「カカリ」いつわりまなんできたりてそう。
「フ シ」なにさま朝のつかいをば。
「ツ メ」あますまじひというまゝに、袴のそばを高くとつて、長刀おつとり出むとす。亀井の六郎もつづいて座敷をづんど立、武蔵が袖をひつとどめのしづまり給へ武蔵殿。ふしぎや此声を、聞たる様に思ふとて、
「フ シ」武蔵をとどめて亀井、はしりいでて見てあれば、
舎兄鈴木の三郎殿、たびやつれにおもやせて、一人ここに立たまう。亀井夢ともわきまへず、するすると走りより、鈴木がたもとにとりつけば、兄も弟もつり付て、扨ていかにいかにとばかり也。はるかにありて鈴木殿、やなに事かある亀井、亀井此よし承り、その事にて候ぞや、君の御うんも我れらがうんも、いま此時につきはてて、明日をかぎりと早なりぬ、夫をいかにと申すに、秀衡浮世に有りし程は、君をもたつとみ申せしが、ういむ常の習とて、秀衡こぞの冬、はかなくなりて候ぞや、其子供我君に、心替りを仕り鎌倉よりの見みには、長崎の四郎殿を申し下したまはりて、扨国の大将に照井だてが向ひつゝ、太田山口中村に陣取て、あると聞てそ、などやかほどに御身の、思召し立ならば、弐年も三年もさきにおくだりましまして、一たんらくを、したまいて、思ひいでと思召あるべきに、なんぞつめたる御運かは、今日下り、給ふこそ、よろこびの中のなげきなれ、今生にて、見みえ申こそ、なによりもつて、うれしう候へ、浮世のもうしうはれてあり、かみにもしろしめさるまじ、とがめあやしむ者あらじ、おちこち人の風情にて、おかへりあらや、鈴木殿。
「ツ メ」鈴木此由打聞いて、ふかくなり亀井じょうもんじょうの、どにほねはうづむとも、なをばうづむか、ふかくさよ、師弟主従父子、夫婦,三世のきへんのなくしては、なんしに今日参るべき、鈴木が参へりて候と、かみへ申せ、亀井」とて、わらんづぬぎ捨、上にきたる打かけぬいで、ふはあと捨、おとといつれて判官の御前をっしてぞ参りける。


続きます。





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by kusennjyu | 2017-01-22 22:19 | みやま市の文化財
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