2017女山産女谷遺跡(瀬高町大草)・千寿の楽しい歴史

女山産女谷遺跡(ぞやまうぶめたにいせき)
瀬高町大草
みやま市史資料編上巻(発行・平成29年3月)
P236~P239より
みやま市教育委員会発行。



瀬高町女山産女谷に所在する銅矛(どうほこ)出土遺跡です。銅矛発見者の杉本博によると、銅矛以外の遺物は発見されていないということなので、単独の銅矛埋納遺跡と考えられます。銅矛埋納地点は、女山の中腹というだけで、詳細な出土位置は不明です。発見された年月は、昭和29(1954)年3月で、杉本によると偶然、鍬に当たったとされることから、開墾か畑作業をしていた時に、発見されたものと考えられます。
杉本は、当時、女山西麓の瀬高町大草に在住し、平成20(2008)年に他界しました。杉本が所蔵していた銅矛は、現在、2本とも、その所在が不明になっています。
平成12(2000)年に筆者が、筑後地方の青銅器を調査していた際に、銅矛を実測させていただき、出土状況などを伺うことができました。その後、あらためて杉本に詳しく出土状況を伺ったところ、杉本から同年9月にいただいた手紙に、出土状態を示すメモが記されていました。今となっては、発見者によって残された貴重な資料なので、この機会に公表することにします(図3)(最初のあて先が「片山」となっているのは「片岡」の誤りです)。
出土した銅矛は2本です。関の少し上で2本に折れている方の銅矛を1号銅矛、折れていない大きな方の銅矛を2号銅矛としておきます。
出土状態は、他に例を見ないものでした。まず関付近で折れて鋒(きっさき)側しかない破片を、刃を立てずに水平に寝かせ、それに鋒を合わせるように、完形の銅矛を、やはり水平に重ね合わせ、さらにその完形の銅矛のちょうど真ん中あたりに、関付近から袋部側半分の破片を袋部を上にして垂直に立てて埋めていました。1号銅矛は、関付近で折れているものの割れ目はきちんと接合するので、袋部を上にして立てた銅矛と一番下に水平に埋置された銅矛が同一固体で、それが図2の1号銅矛にあたることは明らかです。もう1本の完形品が、2号銅矛にあたることも明らかです。
出土場所は、女山の斜面で「山に対して平行」であるので、等高線と平行な方向に埋置されていたことがこのメモによって分かります。このメモには記されていませんが、以前、杉本から直接聞き取った話では、1・2号銅矛の鋒は東に向いていたとのことでした。
この出土状況に対し、銅矛が垂直に立っていたのは、鍬で引っ掛けるるなどして、銅矛の一部が引っかかって立った可能性はないか、と杉本に確認しましたが、回答は、確かにこの状態で埋まっていたものを掘り出したということでした。そうすると、袋部側の破片の長さは約30cmくらいなので、仮に袋部まで全部が地面の中に埋まっていたとすると、水平に埋められた1号銅矛の埋置深度は、最低35cmを越すことになります。
1号銅矛は、全長79.7cm、袋部幅4.7cm、関部幅8.4cmです。銅質が良く、表面は黒褐色で光沢があります。耳には細かい穴が貫通しています。
鋒から49cm付近で折れていて、袋部側の折れ口は、古い段階の細かい欠けが多く、杉本が残したメモのとおりの埋納状態であったとすれば、2号銅矛の上に立てるよりも前に破損したものと思われます。この折れが、2号銅矛の上に立てるために意図して折られたものか、折れたためにこのような埋納をしたのかは不明です。
2号銅矛は、全長83.5cm、袋部幅5.6cm、関部幅9.7cmを測ります。
袋部から上に10.5cm付近と12.0cm付近の2か所には、表面の銅質と異質な部分がありました。上の方は径3mmほどの円形で、下のほうはやや楕円で、3×6mm程度です。その位置から見て銅ピンの可能性もあります。この裏側にはそのような痕跡は見当たりません。
この中広形段階では、刃部は良く研がれて鋭利に尖(とが)るのが常で、この2号銅矛の刃部も大概は良く研がれています。しかし、この銅矛は、鋒から25~27cm付近の左側刃先だけ、刃が研がれずに平坦面に残っている箇所があります。袋端部を覗くと、よく広形銅矛に見られるように、断面がヒトデ状のハバキをかませて、隙間から湯を流し込んだ痕跡が認められます。袋部入り口付近の真土は抜かれていますが、まだ内側の壁にかなりこびりついたままの状態です。表面は、1号銅矛のような光沢はなく、全体に深緑色をしています。保存状態は良好です。
2号銅矛の表面の中央付近に、1号銅矛の折れ口が接していた痕跡が残っているのかどうか、平成12(2000)年調査時点では、そこまで観察する意識がなかったために見逃していました。それがわかれば、どちらの面が上になっていたのかわかるのですが、写真を見直してもわかりません。現物が再発見され、確認したいところです。
2口の銅矛は、同時に埋納されたものですが、2号銅矛のほうが、全体に大振りで、一部に刃部の研ぎが不完全であったり、耳の穴が貫通していなかったり、1号銅矛よりもいくつかの新しい要素が見受けられ、製作時期には時間差が認められます。
筑後地方は、八女郡広川町天神浦遺跡から13本の中広形銅矛が出土したのをはじめ、中広形銅矛の埋納例が多く認められますが、女山産女谷遺跡も、この地にそうした埋納行為が及んでいたことを示す証拠になりました(文献1)。
青銅器埋納は、偶然の発見がほとんどで、その出土状態については、不明なものが多い中、幸いこの女山産女谷遺跡では、発見者の記録が残され、他に例を見ない特異な埋納状態であったことがわかかります。
続きます。
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