2017陣内遺跡(高田町上楠田)・千寿の楽しい歴史

陣内遺跡(じんないいせき) 高田町上楠田
みやま市史資料編上巻(発行・平成29年3月)
P463~464より
みやま市教育委員会発行
陣内遺跡は、二川地区圃場整備事業に伴い、平成3(1991)年に高田町教育委員会により発掘調査が行われました。
調査では、古墳時代の竪穴式住居跡1棟と土杭2基、奈良・平安時代の8世紀後半~10世紀前半の竪穴住居跡4棟と土杭2基、中世戦国期の空濠が検出されました。特に、9世紀後半~10世紀初頭に比定される3号竪穴住居跡からは鉄鏃をはじめ、ヘラ切りの須恵器坏が一括して出土し、本地域の標式資料となります。また、溝から8世紀ごろの縄目タタキの平瓦が出土しており、上楠田松浦・垣田遺跡の関連が注目されます(文献1)。
戦国時代の空濠は2条あり、いずれも台地の北側を東北方向に、中央部をU字形に巡っています(図1・2)。空濠の中からは、出土遺物は出土しませんでした。


空濠1は長さ約60m以上で、最大幅4.40mで最短の部分で2m、深さ1.6mを測り、断面はU字形を呈しています。出土遺物はありませんでした。
空濠2について平面形はU字形を横にした形で、長さ30mで折り返されます。幅4~8mが島状に残るもので、北側断面で見ると幅4.50m、深さ1m前後を測ります。南側断面を見ると幅が3.7mで北側に比べ若干狭くなっています。深さは南北とも約1mです。断面から2・3回ほど堀り直されています。出土遺物はありません。

空濠は空濠2の前面に楠田川があるために、二重・三重の防衛線が構築され、守りやすく攻めにくいものと考えられます。北側は9世紀前半の溝状遺構の年代は文献などからこの空濠は15世紀後半~16世紀前半ごろの戦国時代の遺構と推定されますが、時期は確定できません。田尻家文書「田尻鑑種本領村数等覚書」によると、天正10(1582)年の田尻氏関係の城郭は34か所となっています(文献1)。この遺跡と田尻氏の関係については、天正3(1575)年に、田尻鑑種と龍造寺隆信が協力して大友方に組する三池鎮火実を攻めています。このときの詰城として当遺跡が存在した可能性があります。
背景として北側の山を越えた場所には田尻氏の本貫地があり、本遺跡は、三池氏に対する防衛要地であったのではないかと思われます。この遺跡は、田尻城の南に備えた出城の空濠の可能性が指摘されています。
続きます。
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