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2017いわいの郷(八女市岩戸山歴史文化交流館)見学・千寿の楽しい歴史
いわいの郷(八女市岩戸山歴史文化交流館)見学

平成29年8月26日  天気:雨

大川歴史会37名

大豪族「筑紫君磐井」

北部九州最大の前方後円墳である「岩戸山古墳」。

今から約1500年前、この巨大な古墳を築いたのは八女を拠点とし活躍した古代九州の大豪族「筑紫君磐井」でした。

『古事記』や『日本書紀』にはヤマト王権に背き、九州の豪族とともに「磐井の乱」を率いた反乱者として記されていますが、はたしてこれが真実の姿だったのでしょうか?

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磐井、海を駆ける

磐井をはじめ北部九州の豪族たちは、弥生時代から海を制し、大陸の中国や朝鮮半島と交流を持っていました。特に、鉄を生産し豊かだった伽耶諸国や、高度な文化を誇る中国との交流は意義深いものでした。ヤマト王権に比べ有利な地の利を活かしたものです。

もう一つのポイントは船師。船を造る「造船技術」と、船を操る「航海技術」は高度な先進技術でした。それらを手に、目の前の有明海から大海に出て行ったのです。

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「磐井の乱」

527年に始まり、翌528年ヤマト王権により鎮圧された日本古代史上最大の内乱と言われています。

朝鮮半島の西南部の国「百済」を助けるため、やまと王権が大きな軍事的負担を強要した事に強い不満をもった九州の諸豪族が「筑紫君磐井」を盟主として結集し、起した反乱であると伝えられています。

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磐井敗れし後は・・・

戦いに敗れた磐井は、『古事記』や『日本書紀』には切り殺されたと記述されています。しかし、これら記紀は戦いの勝者であるヤマト側の立場を重視して書かれたものです。

これに対し『筑後国風土記』(逸文)には、磐井は豊前の国上膳の県(かみつみけのあがた:現在の豊前市周辺)に逃れたと記述されています。豊前市周辺には当時新羅からの帰化人が居住していたとも言われており、信ぴょう性が高い内容が一部含まれています。

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主を守る「石人・石馬」展示

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男根をもつ石人

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アクセス

〒834-0006 福岡県八女市吉田1562-1

TEL  0943-24-3200


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続きます。





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by kusennjyu | 2017-08-27 11:17 | 歴史学習会 |Topに戻る