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千寿の楽しい歴史
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2017田中道(藩境と金納往還)を訪ねて・千寿の楽しい歴史
田中道(藩境と金納往還)を訪ねて

平成29年5月8日(月)午前9時~

金子俊彦氏と久保田毅で大川市からの3人の女性を案内する。

藩境(柳川藩と久留米藩の境)

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柳川郷土研究会員 金子俊彦

吉政が慶長14(1609)年2月に参勤交代の途中、府中にて死亡、その後四男の忠政があとを継ぐことになりますが、元和6(1620)年、江戸で病気になり亡くなりました。忠政に後継ぎがいなかったために田中家は断絶し、田中家の筑後国支配はわずか20年で終わります。

筑後国は2つの藩に分かれ、柳川藩には立花宗茂が11万の大名として帰り咲きます。

一方、久留米藩には丹波福知山より、有馬豊氏が21万石の大名として入部します。

今までは田中家が筑後一国を治めていたため、久留米・柳川の藩境はなかったが、久留米有馬藩と柳川立花藩の成立で矢部川が藩境と定められました。

それも瀬高郷辺りまでで、そのあとの境界は下妻郡・三潴郡を横切り、大川の榎津と小保の間に至ります。それで三潴郡蒲池地区を見れば、立石村や金納村などは久留米領となり、矢加部村は両藩に分団されました。

そのため久留米藩金納村の耕作地が柳川藩の蒲池村にあるという状況が出てきました。これは田中家時代金納村の農民が耕作していた田畑で、両藩に分断された後、久留米藩の飛び地になったものといわれています。

新たに藩境が設けられたため、目印として大きな木を植えたか、木柱を立てたのかは、はっきりしまsんが、藩境であることは確かであり、、柳川郷土研究会の先輩たちが、両藩の境木があった跡といことで、「柳川藩・久留米藩境木跡」という石柱をつくり設置しました。

ところが平成26年、耕運機か自動車かは分かりませんが、その石柱に衝突して四つに倒壊、一部は横のクリークに落ちて、見るも無残な姿になっておりました。

柳川市役所の生涯学習課文化係では、平成27年度予算にて修復を計画、平成28年3月に、田中往還の説明も含め藩境木跡の案内説明版を設置されました。

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金納往還について

柳川郷土研究会員 金子俊彦

柳川より久留米に延びる柳川街道は、田中吉政が柳川入部後の慶長7年に造られた道で、別名を田中往還と呼んでいる。

その道のりは、柳川札の辻-矢加部町―金納村―下田町―金屋町―・・・・安武町―津福町―久留米札の辻である。この矢加部より金納を経て下田町に達する往還を現地の人は金納往還と呼んでいた。

この度、当会会員の近藤茂敏氏より、江戸時代末期の金納往還と金納村の小字図の提供を受けた。興味津々、現地を歩き、諸先輩の方々に尋ねてみると、意外なことが分った。

この地図の金納往還は、町矢加部北端五須丸というところから下田町中央部まで、今の県道西側のクリークに沈んでいるとの事である。昭和30年前半、そのクリークの堀干しのときに確かに見たと言う人がいた。(途中クリークがないところもあるが)当時の田中往還は、両側を掘りあげた中央に土盛りして作った道路で、両側がクリークになっていた。風水害にもよるが年々道幅も狭くなり、通行に非常に不便を感じていた。そのため、新しい道路の建設を県に陳情することになる。
 
其の時の状況を記録した文書(蒲地初代村長野口格二の甥の野口武男の遺稿「金納往還建替の事」)を同研究会の会員野口勉氏が持っておられましたので、ご紹介いたします。

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東蒲池にある。藩の米蔵の跡。

他領(久留米)に米が出るのを止めた。

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堀 蒲池小学校東の堀。

堀の中央に道路があった久留米往還である。

往還といっても一間幅くらいの道であった。

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続きます。









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by kusennjyu | 2017-05-17 21:05 | 田中道 |Topに戻る