2009神事(みやま市高田町田尻の森山神社)千寿の楽しい歴史

森山神社神事の座元決め
みやま市高田町田尻
午後1時に組の総代さんの家に集まり、習字紙を小さく(3cm・2cm)切り、
自分の名前を書いて丸めてお盆の中に入れる。
全部で12個を御幣でなぞって麻(お)に、静電気作用により吸い取られた紙が座元になる。
総代さんがしたが、なかなか付かず、他の人に代わり5分ぐらいかかりました。
Fさんに決まり、今年の座元宅に呼ばれ10月17日に婿せっとの招待があり
炊き出しから神事が終わるまでをつとめます。
来年は中心になり、私たちを指導してやらなければならず、覚えてためである。
神事は来年の10月17日である。5~7日前に旗を立てる。16日夕方、かまど神事。
婿せっとさんは、17日早朝、有明海(大牟田市黒埼)まで行き、御潮取りをしてきます。
数年前までは、黒崎の山本さん宅で、ご馳走にお神酒をよばれて帰っていました。
17日は午前3時頃、男だけ集合して、御飯焚きを行う。日の出前にお宮の本殿にこもり、
強飯を区の世帯分(約145個)にぎる。
午前8時に女が集まり、神事の料理(書付がある)を作り、昼の食事を全員で取る。
男は太い注連縄(中央の太さ20cm位・長さ5M位)と小さい注連縄(長さ20M位)と
竹を切り、玄関に立てる男竹と御幣を作る女竹などを用意する。
準備が終わり、昼食まで鐘と大太鼓の練習を行う。私はできないので、見てるだけです。
神主さんは御幣・玉串などをこしらえる。
神主さんは田尻さんです。(大牟田市駛馬神社の神主)
午後1時頃から、鐘と太鼓を打ち鳴らしながら行列をつくり、山の森山宮まで行きます。
800M位と思うが、坂道と階段を登りますので、重く大変です。私は担ぎ役です。
若い者が少ない組は、最近になり軽トラックの後ろに鐘と太鼓を載せていくそうです。
神社で神事を行い、食事の前に3段重ねの大きな杯に下の重箱に零れるまで注ぎ、(約6合)
本当は婿せっとが1人で飲むのですが、できないときは、皆で加勢をします。
ご馳走を車座になり、いただき、山を降りるまでには、1升ビンをあげてしまって帰ります。
神事が終わり婿せっとに御幣を背中にかるわせて返します。
組のものは、旗をかたずけ、強飯を各組(10組)に配り、夕方に道具渡しをします。
森山神社(高田町田尻)
寿永(1182)「田尻系図」(田尻家文書)では大蔵春実より8代目の種成に5人の子があり、長男種直が原田氏を継ぎ、次男種雄が秋月氏、三男実種が田尻氏を、四男種良が江上氏を五男五郎が高橋氏の祖となった。
戦国時代の九州の武将、大蔵党一族と呼ばれ活躍した。田尻初代の実種は平安時代の末期頃に筑前国から筑後国三池庄田尻邑(高田町田尻)に移り住み田尻三郎と称したのが始まりで森山宮を勧請し、代々田尻家の氏神と尊崇したとある。
天文17年(1548)田尻親種は鷹尾城(柳川市大和町鷹ノ尾)に移る。
後年、田尻の一族は、郷土の豪族となり数箇所に城を構え、大友に従っては竜造寺と戦い、竜造寺に従っては肥後の豪族と戦った。
祭神は、春日大神、住吉大神、健連魂神である。
居城とした田尻山の飛塚城(ひずかじょう)跡は昭和8年に開墾されみかん畑となっている。森山神社は城跡の下の北西の中腹に鎮座し桜咲く春に例祭が行われている。
田尻は本座(森山宮)・大神宮さん(お伊勢さん)・天満宮と社日さん(春秋)が回り、
2から3年に1回は、何かの神事が組に回って来てお世話します。
しかし、本座(森山宮)が一番出る日が多く1軒から2人でますから、勤め人は苦労します。
他は1日で1人又は親睦会を兼ねる時は2人と決めています。組により違います。
9月の「豪族 田尻氏の郷」も見て下さい。
続きがありますので楽しみに。
千寿