南関御茶屋跡
南関御茶屋跡は平成20年11月2日に「薩摩街道歩く会」で山川町から南関御茶屋跡まで
半田隆夫先生を講師として歩きました。
2回目は平成20年11月20日に横浜市の庄村福男さんと薩摩街道(熊本県では豊前街道と云う。)を瀬高町から山鹿市まで車で調査した時に立ち寄り、説明を受けました。
庄村福男さんは、瀬高町の方で、年2回、帰郷してホームページの資料を探しておられます。
みやま市・柳川市・筑後市など近郷のあらゆることを、詳しく専門家に聞いて投稿されています。
福庄BICサイト
南関御茶屋跡

絵・中川原 広吉 文章・半田 隆夫
筑後との国境な町、熊本県の南関町には、九州で唯一、国の史跡として指定(平成15年8月27日)された「南関御茶屋跡」があります。町の大切な文化遺産です。
「峠の茶屋」などと呼ばれ、旅人に親しまれた茶屋は、民間の町茶です。
「御茶屋」は、藩主が参勤交代や領内視察の際に宿泊あるいは休憩する藩営の施設です。
寛永17(1640)年7月に完成した細川期の南関御茶屋は、月日が経つと座敷の壁や柱が破損、その都度修理や一部立て替えを重ねてきました。しかし、手狭で間取りも悪く、古くなったので、嘉永5(1852)年、南関町公民館付近から丘の上の現在地に移転・新築しました。
翌年8月21日、鹿児島を出駕した
篤姫は、薩摩街道を北上、江戸参府の途中、
30日正午前に南関御茶屋に着き、昼食・休憩をとり、山川・瀬高へと向かいました。(福岡女学院大学講師)
これからは平成20年11月2日、「薩摩街道歩く会」で山川町(福岡県)から南関町(熊本県)まで歩きました時の写真と説明です。
上左側の写真 前を歩く奴さんは薩摩街道歩く会のメンバーの方です。全部で5名だけ選ばれました。
南関町郷土史会の方々が、広場で大名行列を組み約500Mを南関御茶屋跡まで歩きました。
私たちは大名行列の後から付いて歩き、南関御茶屋跡到着する、ちょっと前にNHKのテレビに観衆として映っていました。これは、帰宅後に、確認して判りました。
南関町御茶屋跡責任者から歓迎を受ける「薩摩街道歩く会」メンバー。
室内ではバラ展が行われ、希望者は割引入場料で入り、お茶とお菓子の接待があり、中の造り・展示品の説明等をしてもらいました。
下右写真は姫様役の子供と腰元役の母親です。行列の時は横について歩かれました。
上右写真の公園は、城跡でした。 下左写真の山は、大津山で部屋の中からの景色は絶景ですネ。
この後、セキアヒルズホテルで会費制ですが、南関町郷土史会メンバーとの交流会がありました。
今日は南関御茶屋跡だけにしました。
薩摩街道を歩く会の写真が沢山あります。
近々、「薩摩街道を歩く」で投稿します。
千寿