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千寿の楽しい歴史
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2016清水歴史散策1(みやま市瀬高町の名所)・千寿の楽しい歴史
清水歴史散策

高田町郷土史会は今年からみやま市内歴史散策になる。
今日は瀬高郷土史会の2人から案内をしていただきました。

昔は、東側(山側)の南北に通る道路で、本吉の三叉路から清水山に登りました。

清水小学校の東北付近のY字路で分岐していました。
右「からをみち」・左「おしまみち」。この左・右の道は太閤街道ともいわれている。

現在、清水小学校校庭に保存されています。

薩摩街道以前は、この山麓の道を通っていました。
清水観音堂東13丁、参道入口にあり、本吉は江戸時代、肥後(熊本)から筑後に至る交通の要所でしたので宿場町として栄え、清水寺の門前町、商業町としても繁栄していました。ここに一つ鳥居が在ったのでは。

めがね橋 文久4(1864)年完成。

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めがね橋は元大塚地区の返済川にかかっていました。
大正年間に河川工事でコンクリート橋ができ取壊しの話があり、村民が守った橋を移転保存しました。


本坊庭園

法華経千部逆修板碑(県指定文化財)と麻羅観音 文久4(1864)年完成。

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本坊庭園入り口に並んで建立しています。法華経千部逆修板碑(県指定文化財)だけみやま市の説明があります。

中央上部に釈迦三尊を表示した梵字の種子があり、中央に「奉読誦方法華妙典一千部逆修碑」(ほうどくしょうほうほっけみょうてん)とあり、これをはさんで、上段に願い文、下段に結縁僧尼な名がある。建立天正18(1590)年である。

「逆修」とは、存命中に自分のため、仏事を修め冥福を祈る。また、一家縁者、眷属(けんぞく~家来・郎党の意味。)の物故者のためにその冥福を祈り、供養すれば功徳の多くは供養する者に、再びかえること。

 釈迦三尊(しゃかさんぞん)とは、仏教における仏像安置の形式のひとつである。

日本では偏袒右肩で衣をまとって施無畏印・与願印か説法印を結んだ釈迦如来(しゃかにょらい・梵字バク)を中尊として、脇侍(きょうじ、わきじ)として左に騎獅の文殊菩薩(もんじゅぼさつ・梵字マン)、右に乗象の普賢菩薩(ふげんぼさつ・梵字アン)を配置するのが一般的。(この場合の「左」「右」とは中尊から見た「左」「右」を指す。)

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本坊庭園  昭和4年国指定文化財(文部省)

この庭園は、室町時代(1336~1573年)雪舟の作と言われている。庭を東と南と北にめぐらし、心字形(心の形をした)の池を中心にして、庭石の配置や植木の植え込み、池にそそいでいるゆるやかな滝や急な滝など、自然の美しさの中に人工の美がとけあって、春、夏、秋、冬、いつ訪れてもあきない名園である。

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現存する清水寺本坊の半鐘には「寛延4辛未(かのとひつじ、しんび)歳12月8日  住持遮梨湛道 鋳物師瀬高住 平井惣兵衛」の銘があります。

寛延4年(1751)に平井惣兵衛の銘はあるが平井家の誰が制作したか不明である。
「平井惣兵衛」は継承して江戸末期まで使用している。

この写真は今年、庄福さんと2人で調査した時、本坊庭園に半鐘があると聞き、住職に電話で予約して見せていただいた時に撮ったものです。

この時に平井惣兵衛の「撫でで仏」・「鐘」などみやま市はもちろん柳川市などを調査しました。

by kusennjyu | 2016-11-30 07:19 | みやま市の歴史
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