2009秋の叙勲・高田町消防団長(千寿の楽しい歴史)

秋の叙勲 おめでとうございます。
黒田次郎団長と熊川光好団長の秋の叙勲の受賞を心からお喜びいたます。
私の勤務中は2人に多方面にわたりお世話になりました。
ここに私との関係を交えて活躍されたことを書きます。

黒田さんが岩田分団長の時、私は神戸の会社を辞めて家業の手伝いをしていました。
黒田さんが兄弟2人でする仕事ではないだろうと、新規に出来る消防署の受験を勧められました。
そして消防士になりました。
昭和59年1月に三井三池有明炭鉱の坑内火災事故で83人が亡くなりました。
私は前の晩、雪の中を大牟田から帰りました。その次の早朝に事故がありました。私は山川勤務で待機していました。無線で入る緊迫した内容を傍聴しました。
黒田団長は団員を指揮し2日間にわたり徹夜で鉱員の救出作業に当たっています。
救急車は近隣の消防署から応援協定に基づき要請してきてもらいました。
現場の職員も救助活動に大変だったようです。救急車は大牟田・久留米・柳川など搬送しています。
黒田団長の時代は私も高田勤務で一緒に活動しました。平成2年の地域的大雨で朝方急に振り出し、あっという間に洪水になりがけ崩れがありました。
家がつぶれ中に閉じ込められた人を救出中にがけ崩れ事故を受信したので、救出後すぐにがけ崩れ事故現場へ出動しました。
おじいさんと孫が鉄砲水に流され行方不明になっていました。当時の高田町役場は自衛隊を要請し正午頃到着した自衛隊と協力して田圃に流れた泥の中の捜索を行い、2人とも発見しました。
その後は、次の場所に移動しての救助活動と休むことなく続けました。
平成3年4月29日には高田町消防団の研修視察に私も同行で島原へ行き、普賢岳麓の研修を行っています。
2月から再び噴火が始まり、白い噴煙が噴出していました。研修の約1ケ月後の6月3日に火砕流が発生して多くの犠牲者が出ています。噴火直後は、有明海の津波発生の恐れがあり警戒警備で巡回しました。
夏には台風17号と19号にも会い、黒田団長と共に活動しています。
私が昨年、定年退職したときはお礼に3人を招待して会食しました。

熊川さんが二川分団長の時は、分団の郡大会出場のポンプ操法と出初式の小隊訓練の指導に当たりました。
高田町議会議員の時は、消防組合議会議員を兼務され、議会運営や議会議員研修の同行などをしました。機会あるごとに、消防署と消防団の問題で話し合いました。
平成17年は消防団長を兼務され、高田町下楠田で連続不審火があり、昼夜の出動で辛苦されています。私は山川勤務でした。