人気ブログランキング | 話題のタグを見る
千寿の楽しい歴史
kusennjyu.exblog.jp
ブログトップ
2009薩摩街道を歩こう(松崎~府中)千寿の楽しい歴史
薩摩街道を歩こう(松崎~府中)

⑦御井と御原の郡境石(古飯)

2009薩摩街道を歩こう(松崎~府中)千寿の楽しい歴史_a0137997_8581396.jpg2009薩摩街道を歩こう(松崎~府中)千寿の楽しい歴史_a0137997_942861.jpg



 古飯交差点を南へ。平方(ひらかた)集落の入口に御井・御原の郡境石がある。高さ90cm、一辺約30cmの側面に、文政12(1829)年9月に立てられたもので、「従是西四百六間 古飯村丁場 北御原郡 南御井郡 文政十二丑年9月」と刻まれている。
 伊能忠敬が測量した文化9(1812)年当時は境木だったようだ。


⑧平方から北野天満宮下宮まで。

 郡境石から平方圃場竣工碑まで薩摩街道を歩き、これからは圃場整備で旧道が消えているため、国道332号線を光行茶屋まで歩く。
 国道の両側は広々とした田園地帯で野菜、イチゴや花のハウス栽培(12月のクリスマス用と思われる。)が行われている。この地帯は湿地地帯だったそうだ。

2009薩摩街道を歩こう(松崎~府中)千寿の楽しい歴史_a0137997_929728.jpg



光行土居は国道で両断され、説明だけを受ける。桜並木で4月頃はきれいだろうと思いながら歩く。
 
ここから薩摩街道は国道になり、危険であるので国道下側の農道を歩く。

 平方から光行茶屋への上がり口に、かって「右本郷・甘木・秋月 左松崎・山家」と彫った追分石があったといわれるが、今は見当たらない。
 
 筑前黒田藩と仲が悪かった久留米藩は、松崎街道が開通しても元禄15(1702)年まで参府路に平方から本郷・秋月へ道を利用している。
 平方には太刀洗川の川港があり、筑後川から帆をかけた舟がさかのぼってきていた。


2009薩摩街道を歩こう(松崎~府中)千寿の楽しい歴史_a0137997_9451182.jpg2009薩摩街道を歩こう(松崎~府中)千寿の楽しい歴史_a0137997_9452277.jpg


平方から光行土居を南へ。光行茶屋の先の土居の旧道の一部(約300m)が国道と平行して昔のまま残っている。

国道横の料理店「山賊鍋」北側に、八丁島一里塚が見えてくる。私たちは下の農道から説明を受けて、桜並木と八丁島一里塚を見上げながら歩いて行く。下岩田の碑より一回り大きい。国道拡張に伴い元の位置より移転している。




八丁島一里塚跡

小郡市八丁島の松崎街道(薩摩街道)筋の桜並木に「史跡一里塚」という石柱が立っている。
 八丁島の一里塚は、久留米札の辻から2里(約8Km)の地点に設けられたものである。「米政府表」によると「寛永三年(1750)二月、三井郡往還筋壱里塚建。八丁島村之内。光行一里塚より乙隈村御境石迄の間一里塚出来」とある。

久留米城下札の辻から五郎丸(1里)、光行(八丁島・2里)、下岩田(3里)にそれぞれ一里塚が設置され、松崎街道は松崎宿に至るのである。

2009薩摩街道を歩こう(松崎~府中)千寿の楽しい歴史_a0137997_1013313.jpg



やがて、国道は西にカーブするが、古賀茶屋への旧街道を真っ直ぐ右側に桜並木を見ながら歩く。

古賀茶屋は松崎宿と府中宿のほぼ中間である。

久留米から宮地渡し(宮の陣)を通ってきた街道と、府中から神代(くましろ)渡しを通ってきた街道とが合流する。

西鉄甘木線の踏切、太刀洗川の橋を渡ると、北野十郎丸の信号機がある。東は北野への道になる。西側に北野天満宮下宮がある。

2009薩摩街道を歩こう(松崎~府中)千寿の楽しい歴史_a0137997_1026111.jpg2009薩摩街道を歩こう(松崎~府中)千寿の楽しい歴史_a0137997_10261920.jpg


下宮で一時解散式があり、小郡方面、府中方面、とバスとマイクロバスに分かれて乗る。
 
私たち懇親会参加者は、小郡方面のマイクロバスが帰ってくるまで約30分間待たされる。








次回に最後を仕上げます。
次はバスですので神代渡し(バスから)と府中宿です。
                   千寿
by kusennjyu | 2009-11-11 10:22 | 薩摩街道
|Topに戻る