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千寿の楽しい歴史
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薩摩街道を歩こう(松崎~府中)千寿の楽しい日々
薩摩街道を歩こう(松崎~府中)

⑨筑後川の神代(くましろ)渡し

 バスの中から史跡の石柱と説明文を見る。

 説明文と「元寇史跡・神代浮橋の跡」
 文永11(1274)年、鎌倉幕府の執権北条時宗は、元と高麗(こうらい)の連合軍の襲来にあたり、南九州の御家人に出兵を命じた。
 久留米の豪族神代良忠は、筑後川に舟を並べて浮橋(舟橋)をつくり、博多の警固に赴く薩摩・大隈・日向・肥後の御家人たちを対岸に渡した。幕府は、神代良忠の功績を讃え,感状を送った。
 江戸期、旅人は、川舟で筑後川を渡った。薩摩街道筋の神代渡しは、人々の往来でにぎわった。

⑩府中宿

府中宿では久留米ボランティア会員の方から説明を受けました。
薩摩街道を歩こう(松崎~府中)千寿の楽しい日々_a0137997_1712661.jpg薩摩街道を歩こう(松崎~府中)千寿の楽しい日々_a0137997_175328.jpg 府中宿は、筑後国一宮高良玉垂宮(高良大社)の門前町であるとともに薩摩街道の宿場町でもある。松崎・羽犬塚とともに筑後久留米藩の「三宿(さんしゅく)」と呼ばれた。
 宝永年間(1704~11年)の町の規模は96件、町数4町14間(約461m)である。
 町の南北には構口が設けられたが、松崎宿や羽犬塚宿のような鈎(かぎ)の手になっていない。
 町は北から上町・中町・下町と呼ばれた。

鳥居は、1655年に2代藩主有馬忠頼公の寄進によるもので国の重要文化財に指定されております。

薩摩街道を歩こう(松崎~府中)千寿の楽しい日々_a0137997_17165177.jpg薩摩街道を歩こう(松崎~府中)千寿の楽しい日々_a0137997_17165935.jpg










 薩摩や人吉・熊本・島原・柳川・三池などの大名が、参勤交代の時などに宿泊もしくは休憩する。
 御茶屋(本陣)及び脇本陣が設けられた。お茶屋は、現在の御井小学校の敷地であり、遺構として「井勢(いせ)の井」と呼ばれた本陣井戸が残っている。脇本陣は、上町の薩摩屋と小松屋であったという。
 府中宿には人足15人、馬10疋が置かれていたが、寛保2(1742)年には駕籠10挺も設置された。享和元(1801)年、府中宿に入った名古屋の呉服商菱屋平七は「人家二百軒計。茶屋・宿屋多く、本陣あり」と紀行文『筑紫(つくし)紀行』に記している。






 



府中宿で解散式があり、懇親会に参加しない方はバス(大牟田・柳川・みやま)と
マイクロバス(小郡)で帰りました。

懇親会参加者はホテルのバスが迎えに来て午後5時から6時30分頃までありました。
参加者は昨年より少なく30名ほどでした。カラオケが始まり歌や踊りなで賑わいました。
帰りもホテルのバスでJR瀬高駅まで10人くらいを送ってもらい午後8時に帰宅しました。

 
by kusennjyu | 2009-11-11 17:24 | 薩摩街道
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