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千寿の楽しい歴史
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黒川温泉(千寿の楽しい日々)
黒川荘 日帰り温泉入浴と昼食   黒川温泉

10月1日午前9時に出発 → 山鹿市 → 菊池市 → 菊池渓谷 → 大観望 → やまなみ道路  車が少なく阿蘇外輪山の中をスイスイと気持ち良くぶっ飛ばす。(時速60Km/時)風が冷たく顔に心地よく当たる。→ 黒川温泉郷着 午前11時10分 (距離 105Km)。       復路も同じコースを帰る。

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国道442号から黒川荘案内看板に従い、黒川川に下ります。橋を渡り駐車場があります。
黒川荘の入り口で写真の門構えが、私たちを迎え入れてくれます。
 12時からの食事にして、まずは風呂で旅の汗?を流します。  003.gif  010.gif

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 岩切露天風呂   ①から見える外の屏風岩  屏風岩露天風呂  内風呂

内風呂は5間(9M)× 5間(9M)位あり広々としています。
中にも屏風岩があり、私1人だけのゆったりした贅沢な入浴ができた。
水風呂は冷たく腰までつかりあがる。

温泉成分はナトリウム塩化物・硫酸塩・炭酸水素泉だそうです。よく判りません。
ゆっくりつかったら後で汗が噴出し、温泉の外で湯冷ましをしていました。

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献立は仲居さんが説明してくれました。    034.gif 037.gif

鍋料理・馬刺し・刺身・鮎・煮物・吸い物・御飯・デザートであとの2点がよく判らない。

鍋料理で地鶏と松茸がおいしく、沢山あり御飯をお変わりして完食する。
間食はあるが、完食はパソコンでは出ない。テレビ言葉かな?

デザートは梨と柿は小々片が1切れ・葡萄は1粒でした。デザートですからね。

食事も私たちだけで大広間を占領し、食後30分ほど昼寝して部屋を出ました。


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帰りは大観望により駐車場から500mほどで頂上まで登りました。
ちょっときつかったが、登山者の気持ちが判りました。これは大げさな。
娘たちは数日前、友達同士で来て、きついので途中から引き返したそうです。

何も説明しなくても判ると思います。阿蘇の五岳方面と下の国道57号線が通っている盆地風景です。台地はすすきの穂が茂り、アザミが咲いていました。070.gif 017.gif  012.gif

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# by kusennjyu | 2009-10-01 22:17 | 旅行記 |Topに戻る
ひまわり(大牟田市健老町)千寿の楽しい日々
ひまわり

27日にひまわりフェスターが開幕し、28日に行きました。

5ヘクタールに百万本以上の花が咲き誇っています。
秋風に揺れ、黄色いジュウタンのように地面を覆います。

ひまわり(大牟田市健老町)千寿の楽しい日々_a0137997_10483553.jpgひまわり(大牟田市健老町)千寿の楽しい日々_a0137997_10484760.jpg










ひまわり(大牟田市健老町)千寿の楽しい日々_a0137997_10515967.jpgひまわり(大牟田市健老町)千寿の楽しい日々_a0137997_105289.jpg
沢山の人に楽しんでもらい、まちの活性化につながるように行われ、新たな観光名所として定着しつつあります。
家族つれやカップルは、ひまわりの中で写真を撮っています。



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天気の時は、西に雲仙の普賢岳、少し北よりに多良岳が、北は黒崎山が遠望できます。
海の中には人工島(初島)がみえます。有明炭鉱は閉鉱になりました。

交通アクセスは国道209号線の日出町信号を海側に曲がり、約500M西進します。
有明沿岸道路は健老で下り、一般道路のT字路を海側に曲がります。

フェスターは10月中旬まで開かれます。外のひまわりは終わりましたが、
14日には観光協会60周年記念ウオーク「九州新幹線レールウオークと秋の
ひまわり畑を歩こう」があります。
来て見てんね。 ひまわりの中を歩いてんね。070.gif  017.gif  003.gif

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# by kusennjyu | 2009-09-29 11:18 | |Topに戻る
2009神事(みやま市高田町田尻の森山神社)千寿の楽しい歴史
森山神社神事の座元決め 

みやま市高田町田尻

午後1時に組の総代さんの家に集まり、習字紙を小さく(3cm・2cm)切り、
自分の名前を書いて丸めてお盆の中に入れる。
全部で12個を御幣でなぞって麻(お)に、静電気作用により吸い取られた紙が座元になる。
総代さんがしたが、なかなか付かず、他の人に代わり5分ぐらいかかりました。

Fさんに決まり、今年の座元宅に呼ばれ10月17日に婿せっとの招待があり
炊き出しから神事が終わるまでをつとめます。
来年は中心になり、私たちを指導してやらなければならず、覚えてためである。

神事は来年の10月17日である。5~7日前に旗を立てる。16日夕方、かまど神事。
婿せっとさんは、17日早朝、有明海(大牟田市黒埼)まで行き、御潮取りをしてきます。
数年前までは、黒崎の山本さん宅で、ご馳走にお神酒をよばれて帰っていました。

17日は午前3時頃、男だけ集合して、御飯焚きを行う。日の出前にお宮の本殿にこもり、
強飯を区の世帯分(約145個)にぎる。

午前8時に女が集まり、神事の料理(書付がある)を作り、昼の食事を全員で取る。
男は太い注連縄(中央の太さ20cm位・長さ5M位)と小さい注連縄(長さ20M位)と
竹を切り、玄関に立てる男竹と御幣を作る女竹などを用意する。
準備が終わり、昼食まで鐘と大太鼓の練習を行う。私はできないので、見てるだけです。

神主さんは御幣・玉串などをこしらえる。
神主さんは田尻さんです。(大牟田市駛馬神社の神主)

午後1時頃から、鐘と太鼓を打ち鳴らしながら行列をつくり、山の森山宮まで行きます。
800M位と思うが、坂道と階段を登りますので、重く大変です。私は担ぎ役です。
若い者が少ない組は、最近になり軽トラックの後ろに鐘と太鼓を載せていくそうです。

神社で神事を行い、食事の前に3段重ねの大きな杯に下の重箱に零れるまで注ぎ、(約6合)
本当は婿せっとが1人で飲むのですが、できないときは、皆で加勢をします。
ご馳走を車座になり、いただき、山を降りるまでには、1升ビンをあげてしまって帰ります。

神事が終わり婿せっとに御幣を背中にかるわせて返します。
組のものは、旗をかたずけ、強飯を各組(10組)に配り、夕方に道具渡しをします。

森山神社(高田町田尻)
2009神事(みやま市高田町田尻の森山神社)千寿の楽しい歴史_a0137997_1521199.jpg



寿永(1182)「田尻系図」(田尻家文書)では大蔵春実より8代目の種成に5人の子があり、長男種直が原田氏を継ぎ、次男種雄が秋月氏、三男実種が田尻氏を、四男種良が江上氏を五男五郎が高橋氏の祖となった。

戦国時代の九州の武将、大蔵党一族と呼ばれ活躍した。田尻初代の実種は平安時代の末期頃に筑前国から筑後国三池庄田尻邑(高田町田尻)に移り住み田尻三郎と称したのが始まりで森山宮を勧請し、代々田尻家の氏神と尊崇したとある。

天文17年(1548)田尻親種は鷹尾城(柳川市大和町鷹ノ尾)に移る。

後年、田尻の一族は、郷土の豪族となり数箇所に城を構え、大友に従っては竜造寺と戦い、竜造寺に従っては肥後の豪族と戦った。

祭神は、春日大神、住吉大神、健連魂神である。

居城とした田尻山の飛塚城(ひずかじょう)跡は昭和8年に開墾されみかん畑となっている。森山神社は城跡の下の北西の中腹に鎮座し桜咲く春に例祭が行われている。

田尻は本座(森山宮)・大神宮さん(お伊勢さん)・天満宮と社日さん(春秋)が回り、
2から3年に1回は、何かの神事が組に回って来てお世話します。
しかし、本座(森山宮)が一番出る日が多く1軒から2人でますから、勤め人は苦労します。
他は1日で1人又は親睦会を兼ねる時は2人と決めています。組により違います。


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# by kusennjyu | 2009-09-27 15:54 | 田尻氏の郷の散策 |Topに戻る